お茶摘み
坊所のお茶摘が終わった。5月清々しい一日を過ごせた。新芽の持つ力感が、指先を通して伝わる。風が柔らかく吹く、極上の一日。こんな日は人生で何度も体験できないだろう。幸いなことに、我が家では二人して2日間充分に茶摘が出来た。5月3日は20組。9日が30組。雨で日にちが移動していったため、参加できないグループが、10あった。グループの平均参加者数が3人とすると、150人ほどの参加だ。広い茶畑全体に広がれば、それでもパラパラと言う感じだ。坊所川に面した、ゆるやかな傾斜地1反5畝、の畑。周辺の空地や竹薮を入れて2反ぐらい。2日が八十八夜。今日が満月だった。お茶摘みは満月の方がいいのかな。よくわからないが、そう言う事も考えながら飲むのがいい。一年でお茶摘みの時にだけ会える人がいる。それぞれに一年を過ごし、元気にここで再開し、又来年の茶摘でというような具合がなかなか良い。
こんなゆるやかな形で、沢山の方の参加があるから、成り立っている茶摘である。今時手摘みでやるなんて、とんでもないような事だが、これが楽しいと言う事で、大勢の人が集まれる。奇跡のような素晴しさである。手摘みでやるには、どうしたって大勢の方に集結してもらわなくてはできない。手ずみには「折り摘み・かき摘み・しごき摘み・両手摘み・切り摘み」があるようだ。これで言えば、しごき摘みを提唱している。柔らかく葉をつまみ、葉先に向って軽くしごき上げる。これだと太い茎はとらずに、柔らかな葉と、一心二葉が採れる。これを左右交互にすばやく、繰り返してゆく。しかし、このやり方も、聞かれたら私はこうやっていますと言う事で伝えるが、みんなこう積みましょうという形では、言いたくない。好き勝手に、軸まで摘む人がいても全くかまわない。山田純さんが「自分は全体の茶葉のレベルを上げるために、芽だけ摘む。」こう言って摘んでいた。全く貯まらない茶葉であった。それも良い。あくまでそれぞれの心の事である。
どんな人の摘んだ葉も一つになって、どれが自分の葉なのかわからない。当たり前だが、それだから美味しいお茶になる。担当の下川さんの配慮が行き届いている。大勢が集まると言う事は、当然初めて農の会の活動に参加する人もいる。いわゆる体験農園、栗拾いとか、摘み取りイチゴ園。のように考えていることもある。3000円の参加人で、どれだけ有利に摘み取れるか。どれが一番得か。それは当たり前で、今の社会はそんな風に出来ている。特に生きる要領ばかりで出来ている。ところが、農の会の茶摘は、損も得もない。荒れてしまったお茶園の管理が大きな目的である。里地里山の手入れ法の一つだ。自然とのかかわりを思い起こし。恵を戴く。それでいて、一定の経済的合理性もある。2キロの生葉を摘むと1000円。そのうち、600円が製茶費。400円が地代であり、機械の購入費である。昨年は整枝機を購入した。
全体では465キロの生葉を摘んだ。そのうち持込が12キロ。お茶畑の収量は453キロ。例年通りというところだろうか。この後5回の作業日が予定されている。そのうち1回の作業には、お茶摘みをした人は参加するようなっている。義務という訳ではないか。大体にグループから、一人参加するという感じなので、各回10人から30人ぐらいの作業になる。午前中ぐらいの作業。これが、もし営農の一環に取り入れると、2キロの生葉で1300円程度か。キロ350円×453キロ=158550円、つまり1反の茶畑で、10万円の収入。これでは茶農家はやれないか。でも、この方法を、営農の一部に取り入れることは出来るかもしれない。これからの農業は、物を売るのでなく。人を農地の方に呼び寄せることも考える方が良い。
昨日の自給作業:茶摘6時間 累計時間:15時間