293 水彩画 日曜展示
293 水彩画 日曜展示

684「睡蓮池18」
2025.3 中判全紙

685「睡蓮池19」
2025.3 中判全紙

686「睡蓮池20」
2025.3 中判全紙
睡蓮池を描き始めて20枚になった。20枚ぐらい描いたからと言って何かわかってきたというわけではないが、睡蓮を見ているときに絵を描く眼になる。溜め池には一日何度も行くので、様々な光で、変化の激しい池の様子をじっくり眺めている。
絵を描く眼で見て初めて気づくこともある。動じに漠然とみていたときの全体像のようなものが失われてきている。細部的な眼、分析的な眼、説明的な眼、こういう眼になったら、つまらない。最初の絵を描こうなどと全く思っていたときの溜め池を描く必要がある。
ただそこに溜め池がある。そんな存在感の溜め池がある。という状態でに描きたい。溜め池をとことん覚え込んで、次に忘れなければならない。すっかり忘れてしまって、また漠然と描けるところまで描いてみたい。それが自分の枝と思うから。