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笹村 出-自給農業の記録-

移民と外国人労働者

   

日本は日本列島にある孤立した島国だ。地続きの外国はない。地政学的に、特殊な国と言える。日本列島にはいくつかの民族はいる訳だが、ほぼ日本民族で固まって暮らしてきた。外国人にはあまり成れていない社会を作ってきた。

最近になって、外国人の受け入れ体制のない日本社会の中に、外国からの異民族の人が入り始めた。何となく変わって行く状況に、落ち着かない気分である。小田原にゆき、久野々舟原まで帰るバスにも、中近東から見えた人が乗っていることがある。これは最近のことになる。

2025年6月末現在、日本の在留外国人数は395万人で、過去最高を更新した。中長期在留者と特別永住者の合計で、前年比で約5.0%増加し、人口の約3.2%に達している。やはりずいぶん増えてきたという気がする。日本で働く外国人労働者数も約230万人で、前年より5%の増加である。

アベ政権時代に、人手不足を訴える企業の要望に応えて、奴隷労働と海外から言われるような差別的な条件で、外国人を研修生制度と称して、安価な労働力の受け入れを始めた。最初は、日系人ならば違和感が空くなと言うので、日本から移民で出た人たちの、子孫の人を受け入れた。

そのご、外国人研修生の待遇が余りにひどいと言うことで、国連の指摘などの批判を受けた。徐々に待遇は改善はされてきて、条件としてはかなり日本人と近いものになっては来た。今度はそれでは日本人が困るというので、反外国人の政党まで生まれた。

日本政府からは、移民受け入れなのか、一時的な労働者の受け入れなのか。明確な説明がないまま、なし崩し的に労働力不足の穴埋めが進んできた。政府の説明では移民ではないと言うことになっている。では出稼ぎ労働者と言うことになるが、そのこと自体が差別的なことになる。

日本列島という東の果ての島国であることと、江戸時代の鎖国を含め、日本社会は極端な外国人に慣れのない社会なのだと思う。だから、労働者不足でなければ、移民拒否の国柄だと思う。それをやむ得ず受け入れることになったので、建て前と本音がギクシャクしている。

本来外国人に来ていただき、働いて貰うのであれば、経過はあるにしても、移民として受け入れる仕組みが用意されていなければならないはずだ。しかし、高市政権としては移民受け入りではない、という言い訳があり、現実には外国人労働者の受け入れ条件や、入国管理での厳密化を主張している。

政府がこんな矛盾した姿勢なのだから、実際に外国人と関わりながら暮らしが始まっている現実との乖離が問題になる。そこに、ヘイトスピーチのような、一部団体の、外国人排斥運動や、参政党のように日本人ファーストを標榜する政党が、支持をかなり集めるようになってきている。

そこへ日本主義的な高市政権が登場した。高市氏はほぼ参政党と同じような外国人に対する厳しい主張の人なので、当然外国人に対する厳密化を主張し始めた。しかし、アベ政権と同様に、労働者不足への各業界からの要望にも応えざる得ない現実的な政府の立場から、自己矛盾した揺れ動く発言を繰り返している。

果たして、日本は外国人移民を受け入れる国になるのか。受け入れることが出来ない国になるのか。明確にしなければならない状況にある。日本は外国人を受け入れるためには、極めて厳しい地理的条件と歴史の国である。受け入れるにしても、慎重な国民の合意を取り付ける手順が必要だろう。

私も3年間フランスで留学させて貰った。人種差別というものも体験した。またずいぶん良くもして貰った。自分のためになったとフランスに感謝している。そのお礼が十分出来ていないことは申し訳ないと思っている。

日本人が日本列島に来たさらに古い何万年単位の歴史となれば、アフリカを旅立った人類の祖先が、様々な民族に枝分かれしながら、この東の果ての島にたどり着くことになった。そして、長い時間をかけて、準じたような民族がたどり着き、混ざり合いながら、徐々に日本人らしい民族の塊が出来てきたのだろう。

その意味では、世界の交通網の発達に伴い、日本に来る外国人も急速に増加しているのは当たり前のことになる。当然、外国人労働者も日本に働く目的で来日しやすい環境が生まれている。あえて制限をしない限り、次第に外国人が増えて行くはずである。

日本は人口減少社会である。一方世界は人口増加である。働く場所、学ぶ場所を求めて、人口減少国に人が移動するのは、自然なことになる。職場でも、学校でも外国人を歓迎している。外国人のおかげで成り立っている場所が、様々な場所で生まれている。

何時の時代でも、新しく人が流入するときには、それなりの軋轢があり、時間がかかりなじんで、日本人になっていったのだろう。慣れていない人が隣り合わせに暮らすと言うことだけで、何かと問題が起って当然である。くさやを焼いて問題になった日本人もいた。

日本がどう考えるかは別として、今の曖昧な態度のままでは、次第に外国人が増えて行く社会になると言うことだろう。外国人を良い外国人と悪い外国人に分けてと言うことになる。これは差別の始まりにも見える。日本に都合の良い外国人の選別と行うのでは、話がおかしい。

日本民族という意味では、すでに私の子供の頃の日本人は消え去ろうとしている。それだけ社会環境の変化が早く大きいわけだ。変化のない安定社会だった100年前の日本とはまるで違う国に、生きている。もう日本人だからと言うような意味では、江戸時代に誕生した日本人はいなく成りつつある。

では新しい日本列島に今いる日本人は、外国人を受け入れることが出来る人たちなのかである。本来外国人が日本に来て、働いてくれると言うことは、日本が好きになり、日本人になりたい。少なくとも日本で死ぬまで暮らしたい。と考えるような国であって欲しいと思う。

しかし、今の制度の問題点は、働くことが終われば、母国へ帰って貰うことが前提である。移民制度ではないから当然とはいえるのだが、働いて日本が好きになり、この国で死にたいと考えてくれる人がいれば、当たり前に日本人になれる制度がなくてはならない。

一方で、日本人社会には、日本人ファーストを標榜する人たちがいる。どこの国にもそういう人はいるのだろうが、過去植民地時代に起きた朝鮮人差別の問題を考えると、かなり日本人の中にある、差別意識は根が深く、今現在も,ヘイトスピーチが行われるほどの、直接問題になっている、日本人ファーストよりも、深刻な人種的体質というようなものが残っている気がする。

日本人にはまず差別意識があると意識すべきだ。例えば外国人に接するときに、まずは日本語で話す方が良い。英語でしゃべろうとか、中国語で話そうとする必要はない。日本語で話し、通じないときに互いに努力すれば良い。日本語が分からないと言うことは、差別の理由にはならない。

今はスマホ通訳でほぼ意思は通ずる。同時通訳の機能も生まれてきている。言葉の壁は,どんどん低くなっている。私ですら台湾に行き言葉でこまると言うことがない。まだ私には、日本が移民を受け入れて、多民族国家になることが良いのかどうかは分からない。

分からないと言うことは、残念なことに、日本人ファーストの1人と言うことになるのだろう。つまり、外国人が増えて行くと言うこと以上に、日本人が失われてきた現状の方に、問題があると考えて居る。このまま多民族国家になるのでは、日本人として違っていると思う。

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