利他主義

   

「利己主義」というほうが、一般的だが良くは思われていない言葉である。一方、「利他主義」と言う言葉を、最近耳に、目にすることがある。向うべき方向として書かれている。確かに世界の状況がここまで荒んで来ると、資本主義が是としてきた、利己主義を問題にせざる得ない状況が生れている。投機的マネーが生む利潤というものが、是であると考えられるようになったのは、古い事ではない。歴史的に見れば、金貸しとか、株屋とか、行って見れば、銀行や証券会社が大企業であって、後ろめたい職業でなくなった世界観の登場は新しい。こうした仕組みに永続性があるのかどうか、微妙な所まできている。オイルマネーを代表とする、巨額な資金が世界経済を混乱に陥れた。その資金規模は生産を伴う、物々交換の便宜性で使われる貨幣の総量の、100倍の量が「投機マネー」として存在すると言われる。量的にそこまで大きくなってしまうと、経済の本質まで変えてきた。

資本の論理というものは、利己主義そのものである。そしてその世界では、お金が全ての価値の背景にして動く。簡単に言えば、得することが良いことなのである。損することは悪い事となる。企業買収というようなことが話題になる。ある会社の株を莫大な資金で、買い占めて行き、その会社の経営権を握る。あり得ないが、農の会が株式会社で株が公開されていれば、その株が買い占められ、その株を買い占めた人の意図で運営がされるようになる。株主が利潤を出すように経営しろというなら、参加者が間違いだと考えても、解雇される。お金が思想より優先的に動く。素晴しい、公共的利益を優先する会社や経営者は無数だが、資本の論理はそれを超えてしまう。このやり方では世界は駄目になるのではないか。と言うのが、利他主義の思想の出現である。公共的利益を優先する世界経済の仕組みの構築。

禁欲主義と、快楽主義は実は同じものである。禁欲主義のゼノンとエピキュロスの快楽主義がある。しかし、幸福という価値観の前では、実は両者は同じものである。幸せであるためには快楽の永続性が必要でとなる。永続性のある快楽とは、知的満足感を伴はなくては成らない。常に前進しなくてはならない。待っていて、同じ場所に留まっていたのでは、快楽は得られない。とすると、快楽の背景にある幸福観は、実は禁欲主義と同じものになる。「利他主義と利己主義」の問題は良く似ている。あくまで自分本位で生きようとすると、自分という存在の意味に至る。目立ちたいとか、勝ちたいとか、贅沢をしたいとか、自分の思うように動かしたいとか。こう考える自己存在の幸福観の確立が必要になる。本当の自己が欲する所は、どこにあるのか。それは他者の喜びによって得られるもので、あるのかもしれない。

この点人間を信じていいのだと思う。人類として過度期に過ぎない。利他主義の主張が起きるのは、資本主義による、利己主義の方向があまりに直接的な利益だけに向いている点にある。他者を滅ぼすことは、決して自分の利益にならない。他者が豊かになることこそ、自分の利益に成ると言う事に気付けば良い。これはまさに、利他主義と同じことである。道徳観的に利他主義を考える必要はない。利己主義の究極の所は、利他主義だと言う事。大資本化がさらに利益を上げようとして、世界の実態経済を壊してしまえば、自分が損をする。風呂屋では最近の株の値上がりが、話題である。ここで一時的に売って、当面の利益を上げて置くかどうかの判断である。ほぼパチンコのカクヘンがどうこうと言う話題と同列に出てくる。アブク銭と、汗水して、人に喜んでもらった金銭。これが同じと言うはずがない。この違いを反映した、経済システムの構築。実は農の会のゲストスピーカー、宮城大学名誉教授天明茂さんのお話でした。

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