大人になりきれない。

   

自分がいつかは大人になるんだ、と言う感覚が抜けない。30に成れば、せめて40になればおとなに。そう思ってついに57歳になって、やっと自分が死ぬまで、大人になりきれない人間らしいと。大人と言うのは、冷静で、まともで、狭量でなくて、大きいそんな人間だと思っていた。仕方がない。とんでもない甘ったれが、この年齢になって今更だけど、甘ったれて、バイク盗んで、校舎のガラスを割ってる訳だ。反抗的というのが、何となく、身に染みついてしまった気がする。尾崎豊ならかっこいいけど、それでも、六無斎じゃないけど、可愛がられて死ぬよりはまし。先が見えないまま、実験ばかり続けているわけで、地道な成果というようなものと、そもそも縁がない。土台、結果がでるような事はやっていない。この時代の方向とは逆行していて、生き方そのものが反時代的。産学協同などといわれたら、全く研究資金が集まらない実験だ。成果が出たところでどうと言う事がないのに、成果までたどり着くあてもないというような仕儀だ。

ガキぽいかも知れないが、物分りは良くなりたくない。例えば、農薬や化学肥料は使わない。ワクチンは間違った過度期的医療法だと考えている。とか言うと、なんか妙な宗教の人じゃないかと、大体、この辺りで切り捨てられるのが普通だ。インフルエンザというと、鳥と人間がかかわりのある感染症だ。鳥では、ワクチンが禁止されている。しかし人間では、奨励されている。何故だろう。これを科学的に説明する能力はないが、経済的には簡単に説明が付く、そのやり方が、企業にとって利益の出る選択だからだ。鶏はワクチンをやれば、販売が出来ない。現在抗体を持っている鶏は全て処理される事になっている。ところが、人間は、厚生省まで盛んに使うように宣伝する。

文化大革命という恐ろしいような人権侵害が、中国ではあった。紅衛兵という変な国民服と帽子をかぶった少年連中が、りっぱな大人をつるし上げて、赤い三角帽をかぶせて、自己批判させる。子供が親を自己批判させる姿なども在った。なんか自分の体内にも、ああいう恐ろしいガキ気分が存在する。中国は日本に対して歴史認識を何とかしろとか言っているが、あの文化大革命をどう位置づけ、歴史認識しているのだろう。あれほどの人権を無視した政策というのはちょっとない。人間と言うものは、本当に愚かな者だ。自分だけは正義だなどと言う事はありえない。だから、愚かな事を出来ないようにしておかないとならない。ガキである紅衛兵を操った毛沢東という人間は恐ろしいと思うけど、それを建国の父としている中国と言うのも複雑な連中だ。

大人げなく行こう、という話だった。しかし、操られる未成熟ではなく、純粋に妥協的でなく、真っ直ぐに行動する人間としてだ。成果など振り向かず、やりたいことをやる。子供っぽさを恐れない。昨日も発言しまいと思いながら、市民課長に対し、怒りをぶつけてしまった。その後体調がまた良く無い。城下町ホールちょっと待っての署名簿の提出で市役所に行ったのだ。人を攻めると言う事は、わが身を滅ぼす。市民課長が、議員に対する答弁で「誤解」だと発言した。市民課長に出かけて行って聞いた。実施設計が出来るまで、説明できないという事だった。ワークショップに出てくださいとお願いした。時間が無いから出れないの説明拒絶。誤解と言うなら、その誤解を解く機会を自ら避けたのは、何故なのだろう。この嘘が許せなかった。

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