辻村植物公園

   

13日、荻窪の辻村植物公園で、駐車場にあるトイレの屋根を覆っていた銅板がすべて盗まれていたことがわかった。重さは計約180キロで、約30万円相当という。最近の金属泥棒の頻発が、小田原にも及んでいるというので、見に行ってみた。なるほどあの手の込んだトイレは銅版葺きだったんだ。特別綺麗なトイレがあった。車が横づけられる。屋根は低くて、取りやすい。夜人は通らないところだ。隣にある穂田さんの資材置き場でも、金目の物は何度も盗まれているので置かないといわれていた。
辻村植物園は小田原の好きなところの一つだ。穏かでひそやかな空気がいい。辺りの自然に調和している。今作っている諏訪の原公園とは大違いだ。ここがすばらしいのは作られた公園ではなく、辻村農園の跡地だからだろう。辻村農園は今の小田原駅の当たりにあったそうだ。

辻村農園の歴史は日本の園芸史では著名なものだ。明治時代は海外から、様々な植物を取り寄せて栽培すると言う事が、園芸界では盛んに行われた。その一翼を担ったのが、辻村農園である。これは明治期の特徴で、犬や猫のようなペットもそうだ。私の家の祖先の一人に、明治時代横須賀で犬の輸入を手がけていた、大津ブル・ドックケンネルという、動物商をしていた人がいる。ニワトリでもより珍しい物を手に入れると言う事が、競って行われた。明治初期にほぼ全ての鶏種が輸入されている。明治人の新し物好き、好奇心の強さを表わしているのだろう。辻村農園が、エーデルワイスを最初に日本で栽培をしたらしい。このあたりのことを、狛江にある大場蘭園の先代大場守一氏が、坂田種苗の出している、園芸通信に書かれているというのだ。時々伺った方なので、話を聞いておけばよかった。

辻村家は学者を輩出している。小田原の誇りと言っていい。辻村太郎氏は日本地理学会の創設、景観という観点を地理学に作った。その他10数名の大学教授がいる。現在の7代目当主克良(かつら)氏は東北大学の名誉教授である。この方が辻村農園4,7haを小田原市に譲渡した。そもそも辻村家は1700年頃吉田島の名主辻村徳兵衛から分かれた。初代甚八は小田原に奉公し年季を勤め上げ、古着、紙くずを商った。その後質店や呉服商を行う。報徳仕法に辻村家はかかわりが深く、商人の自主的結社【小田原仕法組合】を設立。小田原藩を支える大商家になる。明治中期から、大正年間には神奈川、山梨、静岡に広大な山林を所有し全国有数の山林家となる。

実はここに記載した事は、小田原シルバー大学の研究発表からの引用なのだ。シルバー大学の歴史観光コースでは5つの班に別れ研究発表している。1、木工製品について 2、東海道筋の伝説・史話を訪ねる 3、辻村家が小田原にもたらしたもの 4、小田原地方の寺子屋について 5、相模人形芝居 下中座について
どの研究も中々本格的で、興味深いものだ。丁寧に時間をかけ、足で確かめた研究で、大学生の卒論のレベルより奥が深いとおもう。また探求の観点が、足柄地域という視点に絞られ、自分たちの暮らしからの興味になっている点もいい。出来れば農業の過去を調べたいが、シルバー大学に入学するには、もう少し先か。この研究は3年生とある。どの班の研究もまだこれから先に続きそうな、内容だ。報徳仕法と商業の関係。辻村家が学者を輩出する要因。輸入植物の実態。
地域で、どんな暮らしが送られてきたのかを知る、未来を考える時に、何よりも大切になるはずだ。歴史が統治者にだけ目が注がれがちだ。大切なのは普通の人の普通の暮らしを、過去に遡り感じられる事だろう。

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