生活保護費のこと

   

お笑い芸人の笑えないみみっちい話が、国会にまで取り上げられた。そこから始まり生活保護費の見直しが話題になっている。大阪市では18人に一人が生活保護を受け、15万人いる。この制度が限界にきていることが分かる。お笑い芸人の事例で言えば、モラルが全く感じられない。自分が収入が増えた、5,6年前からの分は返還すると、反省した様子でコメントしていた。今までもらった生活保護費すべて返還するというのかと思った。母親は当然の権利で世間の反応がおかしいとしている。保護費で育ち、成人してすべて返還した人を知っている。お笑い芸人になる夢は素晴らしい。それに向けて、貧乏暮しをして頑張って成功する。成功物語としては面白い。しかし、生活保護費で母親を暮らさせているということは、普通なら悩む所だ。親を無視して、自分の夢を果たすのも良い。しかし夢を果たした後知らんぷりしているのでは、情けないではないか。

僧侶だった祖父は生涯そうした福祉にかかわった。生活保護が救済になっていないという話を良くしていた。人間をダメにしてしまう事例が、多々あるという事を愚痴っていた。そう言いながらも、そうした人の世話に本気だった。どうすればいいのか、良く悔み、悩んでいた。それは50年から30年くらい前の話だ。もらう人も気持ちの上でもっと苦しんでいた。生活保護が制度として定着し、現在、権利として意識されている。お笑い芸人を雇用していた、吉本興業は当初、「実名報道は人権侵害であり、何ら法を犯している訳ではない。河本本人においても、河本の親族においても、 大きな精神的負担となっていることをご理解いただき、今後、マスコミ各社及び両参議院 議員においては、人権に配慮した冷静な対応をいただくことを強く望みます。」と、強気の見解だった。その後出した見解では、随分トーンが後退している。暴力団との関連を含め、社員の管理が出来ていない吉本興業である。

河本氏と同様の甘い考えが、日本の社会に蔓延していないか。息子が住宅ローンが払うために、親が生活保護を受ける。こんなことが許されているそうだ。法律の事とは別に、そんなモラルの社会がまともだとは言えない。生活保護の名目で税金を分捕ることを、権利のように考えるのでは社会が成り立たない。その為にすでに社会保障制度は崩壊し、消費税を上げようという事が論議されている。国の借金は限界を越えている。子供が親の面倒をみるために、自分の夢を諦めざる得ない。こういう苦しみがない社会になってしまったことに、私はがっかりする。親と暮らすということは、有難い体験であった。私のような人間でも、少しは役に立てたという有難さがある。そういう体験の結果、両親が自分の中に居てくれるという安心がある。そうでなければ、自分の生きることがどうなっていたかと思う。

新規就農した農業者の暮らしは、生活保護による最低生活より、収入が低い場合が多々ある。それは河本氏が修業時代そうだったのと同じことだ。ただし農業者の暮らしは、将来良くなる希望ある訳ではない。好きなことは仕方がないとしても。その結果農業者は急速に減少している。他の分野でも最低賃金で働いている人が苦しい。社会のバランスが崩れかけている。農業者だけではない。生活保護の受給者が増えた以上に、限界以下で暮らしている人が多数存在する。そうした結果なのか、仕方がないから、いやいやではあるが耐えて働く。社会からこうした気持ちが無くなりかかっている。親の面倒をみる。これは生きる負担ではなく、有難いことである。そうできることは幸運なことだ。そう思っても限界もある。生活保護を受けるということは、最後の手段である。これは法律では片付かないことだ。社会のモラルである。その歯止めを失ったら、この社会は成り立たない。

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