インフルエンザにかからない人

幸いなことに、長くインフルエンザにかかっていない。インフルエンザには注意している。特に人混みには近づかない。どうしても人混みに行かなければならないときには、マスクをしている。よく寝ている。良く運動をしている。何でも食べるが小食。そしてワクチンは打たない。ワクチンをしたところでかかるときはかかる。それより注意深く暮らす方だ。
「過去1年間に一度も風邪にかからず、過去3年間にインフルエンザにもかかっておらず、なおかつ感染症にかかりにくい自覚がある人」を「インフルエンザにかかりにくい人」とするとあるが、私の場合は過去10年一度も風邪にかからず、過去30年インフルエンザにかかったことがない人に当たる。
健康自慢である。家ではそんなことはない。あの時も風邪で寝込んだ、あの時はインフルエンザだったといわれているのだが、そんな記憶が一切ない。どう考え立った、石垣にいて、のぼたん農園に行かなかった日はない。少なくとも7年間、風邪をひいたことがないことは間違いない。なぜそんなことを言われるのか、不思議でならない。
当然コロナなどの感染症にはかかったことがない。かかりにくい自覚がある人である。では身体が丈夫なのかと言えば、子供時代は虚弱体質と言われていた。何かと寝込んで小学校は良く休んでいた。所が中学に入ると一度も休まず皆勤賞だった。これもそんなはずはないだろうと、家族には言われたのだが、学校が間違って表彰したとも思われない。学年でただ一人でメダルまでもらった。
つまり家族の私に対する印象は、いつも病気がちな人間に見えるのだろう。家族には弱音ばかりだからそんな印象になるかもしれない。何しろ疲れた、もう寝ると6時前に寝てしまうのだから、そう思われても仕方がないが、風邪で寝ているわけではない。なぜか、すぐに眠くなる。よく寝るから風邪にかからないのかもしれない。
中学に入るころから、急に体質が変わり、丈夫な人間になった。小学校のころの病気は、いわば仮病のようなもので、発達障害から来ていたのだと思っている。それが虚弱体質だといわれることになり、しょっちゅう熱を出して学校を休むことになった。学校は好きだったのだが、能力を超えていた気がする。
努力して健康になったわけではない。世田谷中学が性に合っていたのだろう。以来、理由はよく分からないが、病気にはなりにくい人間になったような気がする。フランスにいるときに、極端な不健康生活をしていて、結核にかかっているとお医者さんに言われたのだが、寝込んだわけではないし、美術学校も解禁だった。フランスの病院だから、間違いだったかもしれない。
38歳くらいから開墾生活をしたときにもおおむね健康だった。養鶏をしていて、感染症に対する免疫ができたと考えていた。本当のところはわからないが、自然養鶏の仲間と話していたら、みんな風邪などひいたことがないというのだ。それで何となく自然養鶏の環境が免疫力を高める。そんな気になった。
その後帯状疱疹にはなった。これは感染症らしいから、感染症の経験がないわけではない。あまりの痛さに耐えかねて、シオン先生に針治療をしていただいた。針で痛みが取れる経験をした。つらい病気のいい経験をさせてもらった。その後再発はしていない。
69歳の時に、石垣島に引っ越して100歳まで生きるために健康には、特に留意して暮らしている。翻って考えてみると、インフルエンザにかからない理由の一番は好きなことをして、楽しく暮らしていることに尽きるような気がする。毎日楽しくてしょうがないのだから、風邪などどこかに行ってしまう。
温かい冬のない、いつも湿度のある石垣島の生活環境が,インフルエンザにかかりにくいことは確かだ。石垣島に暮らしていると、14度まで下がる日が数日はある。小田原で14度なら暖かい日なのだが、石垣島にいると寒くて仕方がないことになる。体が変わる。
石垣島で暮らすようになって、明らかに寿命が延びたような気がする。「なんくるないさ、てぇーげぇさぁー」で暮らしているので、キリキリする暮らしがない。いつまでに約束を果たさなければならないという切羽詰まったものがない。
この楽観生活が、違いなく長生きのもとになっている。心配事が風邪の原因なのだろう。今日は少し変だなと思う日がないわけではない。でも、のぼたん農園に行くと、誰かが現れて、楽しく作業が始まる。あれもやろうこれもやろうということになり、元気になって精いっぱい働ける。
石垣島でもインフルエンザは流行する。学級閉鎖が何回かあった。私の石垣島生活が、特にインフルエンザにかかりにくい環境と言うことになる。一日のほとんどをのぼたん農園にいる。野外生活はインフルエンザにかかりにくい。人混みに行くことは限られているので、その時は特に注意している。
スーパーやホームセンターやファミマでは、今でもわざわざマスクをする。何かに触るということは極力しない。もう習慣化している。ファミマに入るのにも、手で扉を開けることはない。肘で押すか、開いている扉から入る。いやな奴に見えるだろうが、気にしない。
そんな人はかなり減ったが、人目は気にせずやっている。めがねをかけてマスクをして帽子をかぶって、怪しい様相で出入りしている。たまに東京に行くときが要注意である。今は小田原暮らしだから、息も控えめにするくらいだが、バス電車は必ず、マスクをしていて、何も触らない。つまり、注意深く暮らせば、年寄りでも風はひかない。
しかし、そんなことよりも遺伝的なこと。体質的なことが大きいような気がする。寿命というのはそういうものではないだろうか。体質で一番これかなと思うのは、唾液が多めな気がする。唾液が沢山でているとインフルエンザを水際で防御できる。唾液でも舌の下から出る唾液を多く出す。人込み外出時はガムを噛んでいる。できるだけ鼻呼吸である。
毎年1000万人が平均してインフルエンザにかかるらしい。そうだとすると10年に一回は誰でもかかって普通と言うことになるが、実際の所は、毎年かかる人はかかる。かからない人は生涯かからない。不公平なものの気がするが、そもそも人間の身体は不公平なものだ。
美女というだけで歴史に名を残した人すらいる。私の場合、大体のところは不運な生まれかもしれないが、こうして76歳まで健康に生きているということは、相当な幸運な身体の持ち主だと思う。残りの24年はまさに、僥倖のような年限である。大切に一年一年を生きていきたい。
しかし平均年齢まで生きるのは権利のようなものだから、まだ間がある。確か日本人の男の平均年齢は80歳ぐらいだったから、あと4年はまずは大丈夫だろう。しかし、4年ではのボタン農園は完成できない。あと6年は最低でも必要である。そこまで生きてやらなければ始めた責任が果たせない。イーハトーブは宮沢賢治が長生きすればできたかもしれない。
6年より先のことは自分のことになるわけだが、自分の絵に至るためには、あと24年はかかると思っている。だから、82歳まで体が動いて生きるのは努力である。あとの一年一年は自分の努力だけではどうにもならないものだろう。絵については運任せである。まさに天命を待つことになる。
それでも努力はする。生きる目標を持つことだと思っている。100歳の自分の絵が目標であるとすれば、そこに至る日々の努力は何でもする。動禅体操をする。ブログ3千字レポートを書く。可能な限り農作業をする。何でも食べるが小食。これが人事を尽くす方である。