立花隆『農協』

   

立花隆氏は1974年田中角栄研究で注目を浴びた。田中角栄研究は独特の視点のジャーナリズムだと思った。当時は雑誌というものが、社会的な世論構成に力があった。その世界の一角に週刊誌的論壇。と言うようなものがあったと言える。まだテレビの世界では、報道はあっても本格的な評論は無いように感じていた。文章の方が、言葉より信頼されていた時代。と言ってもテレビは持っていなかったから、本当の所はわからない。週刊誌ジャーナリズム手法で政治家の批判的研究を行い、ともかく田中金脈問題に便乗するように着目された。あまり良い印象はなかった。秀吉に擬せられる様な、成り上がり田中角栄を、官僚出身のエリート政治家が裏で叩く。と言う図式が嫌だったのだ。その後週刊誌的に注目を浴びそうな所と言う感じで、共産党研究をした。これについてはあまり評価された風でもなかった。日本にいなかったのでこの辺りは抜けても居る。1979年週刊朝日で、「農協」の連載を始める。再度、注目をされる。農業問題にはとても関心があったので当時も、読んだ。

最近は、完全に角が取れて、テレビでニコニコしている姿には少し驚く。ガンになってガンを研究して書いているらしい。農業のこの先を考える上で、農協とのかかわりを考えながら、再度立花氏の「農協」を読んでみた。当時は良く調べていると感じたが、今読んでみると農業の全貌がとらえられていない。調べ方に、ある角度がある。自分の位置は動かさないで調査する手法。簡単に言ってしまえば、全てを色眼鏡で見ている。しかし、その見方は深く、本質的核には突き通っている。この点ではやはり鋭い見方だ。問題は全貌を見ようとしないところ。問題を指摘する手法としては、優れているが、問題を解決する視点はない。長文の研究ではあるが、農業をどのようにすればいいのか、と言うような部分はほとんど無い。

唯一ともいえる展望的指摘は、アメリカのように競争原理を農業に持ち込み、農業人口を3割減らせばいいとしている。全体的には批判にとどめ、用心深く展望を避けている。ここで書かれている優良事例としての農協のその後はどうなったのであろうか。着目点は総合商社的経営をしている農協。日本一の畜産飼料会社である、農協。ブロイラーでは鳥取、東伯農協。どうもそれほどの発展をしたようでもない。それから、30年以上が過ぎて、農業人口は3割減どころか3割になった。何かが解決したかと言えば、問題が深刻化しただけである。農業と言う産業が日本人が日本列島に暮らして行くために、どうあればいいのかという、より大きな視点が不足していた。小泉理論と不思議に似ている。農業の非効率を見て、生産性の向上には何が必要か。と考えると、問題の解決どころか、深刻化に繋がる。

生産性が低い。土地利用が充分でない。農業機械の過剰投資。金融業、保険業、不動産業への傾斜。農薬、化学肥料の販売業。畜産配合飼料の販売。問題は30年少しも変わっていない。農業人口だけは減り続けている。農地の減少も著しい。農協の問題でもあるが、農業そのものの問題であり、責任が農協と言う組織にだけあるとも思えない。この本を再読しながら、農家の戸別補償制度が、単なる受け狙いの選挙対策であるといよいよ思えてきた。農協と言う農業総合商社が何故、挫折したのか農業も産業であり、資本主義社会である以上、競争原理の中で経営されている。。その解決に税金を恒久的に、補助し続ける事はありえない。3年ないし、5年間補助をして、解決できないようなことにお金を使うべきではない。その産業のゆがみを大きくしてゆく事になる。立花隆氏が、立花隆的であるなら、もう一度農業問題を未来に向けて、研究してもらいたいものだ。

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