石原都知事の古さ

   

石原都知事はどうも、文学青年時代から成長が止まっている。新しいことは受け入れられなくなっているのは、年齢的には普通のことなのかもしれない。その古い強権的体質が、人気なのだから東京都民には、しっかりしてもらわなければならない。でたらめ発言が面白いネタで、柔道の石井選手と同じだ。「山谷のドヤに行ってご覧なさいよ。200円、300円で泊まれる宿はいっぱいあるんだよ。そこへ行かずにだな、何か知らんけれどもファッションみたいな形でね、1500円っていうお金を払ってね、そこへ泊まって『おれは大変だ、大変だ』って言うのはね」こんな風に思い込むところが、興味深い。まさか今時、200円で泊まれる訳ないよというので、思わず調べてしまった。そんなところが見つかる訳がない。この思い込みが際立って古い。文学青年時代から変わらない固定観念。何故、ここで頭が停止したかと言えば、新しい現実を受け入れたくないからだ。ネットカフェや個室ビデオ店で泊まる人を、さげすんでいる心が見えないか。

三宅島の復興のバイクレースを3億円かけてやった。今後もさらに盛んにやるそうだ。バイクレースは三宅島にあわないと、私は思う。三宅島は自然豊かな緑の島だった。貴重な鳥類などが沢山いて、野鳥観察のメッカのような島だった。そうした自然を再創出して、売り出す道を考えるべきだ。島の周りの海も、とても美しくて、ダイバーには今でも魅力があるらしい。もうバイクをブンブン言わせている時代じゃないだろう。しかし、太陽族以来固まった頭では、どうしてもバイクに行ってしまう。オリンピック誘致も丸で同じセンスだ。こんな一過性のイベントで、島がどうなると言う物ではない。むしろ、太陽族の島、暴走族の島のイメージが出来たら、いい迷惑だろう。そういえばカジノを作ると言う発言をしたことがあった。何とかなるならカジノの島でもいいと思っていそうだから恐い。石井選手は総合格闘技に行きたいらしい。人間のそれぞれ生き方だ。オリンピックが崇高などと思い込むことはない。一番強くなりたい。それには総合格闘技だ。こう思う所が、今更、オリンピック誘致など考え付く石原氏より、さすがに若くて新鮮なほら吹きだ。

オリンピック招致体操と言うような、不思議な物を作って、都知事もされるのですか。と言う質問に、こんなもののやるか。常日頃ハードな、テニスをやっている。丸でこの体操を軽く見て馬鹿にしていた。知事が馬鹿にするような、不思議な体操を今更作らないでも良さそうな物だ。体操ぐらいなら迷惑ですませるが。プラスチックの一括焼却には驚いた。プラスチック類を焼却してはいけない、とは必ずしも思わない。が、その前にやることが、幾らでもある。リターナブル方式とか、他の材料への移行とか。充分プラステック利用のシステムの開発が必要だ。その辺には全く触れずに、焼却では、問題を悪化させる。さらに問題は旧来の炉でも燃やしていることだ。プラスチックを入れない前提で造られた炉に、プラスチックを入れると炉の痛みが急速に進む。ゴミは燃やすにしても燃やし方が、とても大切なのだ。

どうしようもないような石原都知事が、何故、人気があるのか。ここは良く考えなければならない。私は、まだ中学生の頃、石原慎太郎の演説を聞いたことがある。すごい人だかりだった。賀屋興宣氏の選挙の応援に歩いていた。賀屋興宣氏は戦時中の大蔵大臣でA級戦犯、右翼と目されていたが、ともかく頭の良い人だった。私は直接も間接も、色々話を聞かせてもらえる機会があった。一くくりに右翼とは言えない人だと思った。そのことは又別にする。石原氏が支持されるのは、現実変革の意志だ。観念的な話をしない、文学者だと思った。悪かろうが良かろうが、現実を前に進めようとする。批判的だけでは、現実が変わらないことを、選挙民はよく知っている。これが、独裁者が選挙で現れる要因では無かろうか。現実に触れる。石原氏はたぶん50年前に、山谷のドヤに行って泊まってみたのではないか。

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