タミフルの薬害

   

化学的に作られた薬というものは遠ざけている。この25年、いわゆる薬という物を服用したのは、肋間神経痛のときに漢方薬を一度と、歯を抜いた時に麻酔の注射を使ったぐらいだ。石鹸も歯磨き粉もよほどの事が無い限り使わない。必要が無いからだ。と言って何となく汚らしいというのがある、という自覚が若干無いわけではないが、子供の頃から汚いほうが好きだったのだから、しょうがない。だから、タミフルで錯乱してなどという話を聞くと、情けなくて耐え難い思いだ。これに対する厚生省の判断の愚かさは、程度が低すぎる。インフルエンザで、薬を飲むなど普通必要の無いことだ。消化しやすい物を食べて、静かに寝ていればいい。寝ていたく無いなら、暖かい部屋でぶらぶらしていればいい。時間が来れば必ず治る事だ。病気になるのも、体が必要とした事だ。

インフルエンザについては、鶏の事もあるのでそれなりに勉強してきた。ワクチンという物がある。これも使わないほうが身体にいい。ワクチンによる免疫と、自然毒から感染して出来る免疫とは本来似て非なるものだ。風邪のウイルスはインフルエンザだけではない。何百とある。それを全てワクチンで対応できるわけも無い。ウイルスは感染の連鎖で、変化してゆく。この変化に追いつくようにワクチン作ることなど出来ない。しかし、ワクチンを使うとそれほど重症にならないという人が多いのも事実。これは似たウイルスには効果が、いくらかある交差免疫とか言うらしい。しかし、ワクチンで感染しない、という事が無いのも事実。大切なのは、この免疫という物を獲得する能力の育て方だ。ワクチンで簡単に免疫を得ると、身体は免疫を獲得するシステムを、培う事ができない。自然のウイルスに感染して、苦労して免疫を得ることで、身体は新たなウイルスに遭遇する能力を養う。

病気にはかかる必要がある。そしてそれを乗り越える事で、成長する。これは、身体だけでなく、心の問題でもある。大病して成長した人間と言うのはよく聞く事だ。人間に起きる事で不要な事は何も無い。自然の中で生命が出来る過程で、そうした試練もあるべきものとして、存在する。病気だけを毛嫌いして、先行してワクチンで予防するなど、必要最小限にしておいた方がいい。インフルエンザについて言えば、かかったところで、よほどの事が無い限り、養生の範囲で乗り越えられる。こんなことを書くと、変わった宗教にのめり込んでいると決め付ける人もいるだろう。しかし、現実はタミフルを服用して恐ろしい事が起きている。ワクチンを打ったがための事故も多々ある。

タミフルも、インフルエンザワクチンも国は備蓄が必要と言っている。備蓄が足りないといって、報道も騒いでいる。これは軍備と同じだ。期限がすぐに来て廃棄しなければならない。製薬会社は使おうが使うまいが、これで大もうけしている。ダイオキシンもそうだった。国民をだまして、安全、安心とか言って、科学的知識の無い新聞・テレビ報道は、すぐそれに踊らされ、お先棒を担ぐ。タミフルやら、ワクチンの備蓄に税金を使うなどとんでもない事だが、これに反対するまともな政治家もいない。インフルエンザの恐怖に、何故これほど煽られたか。備蓄で大もうけしている製薬会社があるからだ。それを是とする世論が存在するからだ。その世論を形成しているのが、報道であり、政治家だ。それはもう個人の手に負えないことだが、簡単に薬を使うことは危険なことだと言う事は知ってほしい。

 - 身辺雑記