看板書き
5メートル×60センチの横断幕を書いた。上原公子さんの講演会のときに使うもんだ。「市民が主人公」のまちづくりと書いた。字を書くのは好きで、時々書く。お店の看板を頼まれて、書いたりしている。自然食品のお店とか、喫茶店の看板、これは難しかった。長鳴鶏の会の大きな看板を昔書いた。先日突然尋ねて見えた鳥好きの人が、鶏好き人というのは突然来る。長野の方で笹村さんが書いた看板が見たというので驚いた。そういえば、日本鶏の会の会報の字も書いた。以前から立派な字があるのに、何の事やら分からないのだが、結局書いた。当然だけど、上手いわけではない。下手だから、頼まれるのだと思う。下手な人は頼まれても書かない所を、平気で書いてしまうので、下手のほうが好きだと思う人も居ると言う事だと思う。まだ、迎春と書いたものが、玄関に貼ってある。山北の家では南山晴北山霧と、板切れに書いて玄関に掛けて置いた。それが良く似合っていた。
今の家には、平和よ届けと言う大きな幕が、前に出してある。これはイラク派兵に反対して書いた。派兵がどれほど馬鹿げた事になるか。良く良くわかっていた。案の定ブッシュは困り果てている。今もって、世界でそれに気付かないのは、日本政府ぐらいだろう。字を書く事だった。平和と言う事で、市民同士が連帯すると言う気持ちを書いた。内容によらず、字を書くことは面白い。良く墨を選ぶとか言うが、それなりに高級な墨も持っているが、字を書くのに墨は大した違いはない。墨汁で充分だ。紙も何でもいい。目があろうがなかろうがかまわない。にじみが出すぎるのは困るが、普通に書ければそれで言い。水墨を描くとなると、墨も紙も大いに影響する。字の場合はどちらかと言えば、アクリル絵の具のような味も素っ気もない方が却っていい。だから色で書きたいときはアクリル絵の具を使う。アクリルで板に書いても同じ事だ。と言うような事は井上有一氏から学んだ。
中川一政氏の字はすばらしいので有名だ。私の師山本素峰先生の葬儀の時、自分で書かれた、花輪を出してくださった。叔父に当るのだ。そのときの字は、板に先ず鉛筆で下書があった。それと全く外れて名前が書いてあった。自由と言うのはこう言う事だと思った。最後の百合の花をたくさん描かれた個展の時のパンフレットに、あるべき絵の世界に達成した感じを書かれていた。その達成したところが、実は20歳の時の場所だった。誰も20の時の絵の、そのすばらしさを教えてくれないので、生涯あちこち努力して、又そこまで来た。そのように記されていた。こんな生涯を送れる人がすばらしい。
今度の最小限の家には南海晴北山霧と書いて、入り口に張ろうと思う。多分これは山小屋の天気予報を模している、気がする。実は草家人と言う叔父の上野原の家で見た。草家人の字は面白かった。毎日炉辺閑話という日記を書いているのだが、それも本当に炉辺で筆で書いていた。字というものの面白さは意味がある絵だからだ。だから書家と名乗る人の字をありがたがる、心境がわからない。書家と言うのは所詮は代書屋だとおもう。字がありがたいのはその人が、何らかの道で一流の人だからだ。白隠の字に、自由解脱の心境が示されているのはそうした境地に達した僧侶だからだ。それを形で真似たような、書家と名乗る人達の字は、代書屋さんの字で何のありがたみもない。見たことはないが、そうした公募展というのもあるようだが、審査は、字面を見て、合格と言うのだとしたら、字というものを取り違えている事になる。