笹鶏孵化開始

   

昨日午後、意を決して笹鶏の孵化を始めた。自分の鶏種を自分で孵化して、行う養鶏というのは、それこそ大規模のイセ食品と笹村養鶏場ぐらいだろう。規模は極端に違うが、合理性をとことん追求するとこうなる、と言う意味では同じだ。ただ、合理性の意味が違う。私の場合は経済の合理性ではなく、自然の循環と言う合理性だ。他所から雛を入れなければ出来ない養鶏と言う事が、気持ち悪いのだ。この落ち着かない、基盤が他所にある感じはどうもまずい。自給自足に暮すとなると、自家採種は当然の事になる。鶏もついこの前までは、自家採種が当たり前だった。それに、自分の鶏種を作ると言うのは、実に面白い。鶏は美しいものだ。生き物は美しい。それを自分なりに、洗練さしてゆくなんて、特別な事だ。笹鶏には、白系と赤系が居る。夫々に、自然にとけこめるような、ものにしたいと思っている。江戸時代のお百姓さんに負けないような鶏を作りたい。

先ず1回目は笹鶏の2系統の純系を120個、卵を孵化機に入れた。100羽の雛が取れる予定だ。80%孵れば、相当いい成績だと思う。10年以上純系を保っている鶏だから、相当に孵化率は下がる。この結果で、今のうちの養鶏場の状態がわかる。毎年の試験のようなものだ。今年は、この辺の経過を出来るだけ正確に書き残しておくつもりだ。今私がやっている事は、この先何10年かすると意味がでてきて、知りたいと思う人が居るはずだ。例えば純系を保つと言う事が、どんな事になるか。この辺も時間が掛かることだ。すでに20年かかっている。私だってもう一度は出来ない事だ。もう一回ぐらいなら、やれるかもしれないが、そんな馬鹿な事は、若いうちでないと考えられない。私自身養鶏業としてはどう収束するかを考えているので、この種鶏がどう今後なるのかだけは、継続してみたい事だ。

120個の卵はここ4週間ぐらいのものだ。暮れから、別飼いを始めていた。卵は販売してしまうので、中々たまらないのだ。今の時期どうしても予約に追いつかない。だから、純系の卵は残そうと思うのだが、出来ない日が多い。卵には日付と、赤、白、と記録が鉛筆で書いてある。後で孵化の経過を見る。無精卵の割合なども、参考にする。古いと孵らないかと言うとそうでもない。殻も綺麗で形が良い大きめな卵が案外に孵らない。卵は洗わない。糞がついていてもそのまま。手動の転卵方式なので、気が付いたら回す。そのぐらい気にかけていたほうがいい。だいたいの失敗は、事故だ。機械任せにしていると、危険だ。

孵化で一番大切な事は、親鶏の健康状態だ。下痢やら、風邪やらではとてもいい種卵はとれない。青草を出来る限り食べさす。産卵は減るが、健康な鶏を作るには重要な事だ。外に出して、虫やら何やら拾い食いをさせる。これでガラッと変わる。親鶏の選択も重要。頭の良い鶏の方がいい。良く見ていると、鶏によって随分頭の違いがある。おとなしい、人になつく鶏にする。卵は巣箱の中に産んだ物にする。殻のしっかりした、艶のある、色は濃い方が、受けがいい。フラン機の水は汚れやすいので、清潔に保つ。温度は機械に頼らず。温度計を入れて、時に確認する。1週目に発生の確認をする。明かりに透かせて、中を見るのだが、血管の伸び具合で状態が判断できる。怪しいような物は取ってしまい、割って中を良く観察する。これを繰り返すと、外から中の事が、想像出来るようになる。この後の経過を出来るだけ書く事にする。

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