電話からメールに変わる。
電話がかなりの苦手である。電話を嫌う理由は2つある。電話はかける人の側の都合で、相手の了解なしに、お構いなしに、かける以外にない。またその様にかかってくる。かける人にしてみれば、こちらの状況が分からないのだから、当然のことだ。やむ得ないことであるのは分かっている。それでも困るのは絵を描いて居る時だ。四苦八苦しながら描いていることを遮られると、その一日が無駄になることさえもある。これはなかなか他の人には理解してもらいにくいので、どうにも仕方がないことだ。電話をかける側の人にしてみれば、やむ得ないことであるのだから、責める訳にも行かない。もう一つの困ることは確認事項が確実でない点である。電話のやり取りの誤解で何度か混乱したことがある。私が記録がきちっとできないという事もあるが、言い間違っているという事もあるのだろう。双方が思い込みで話していて、ずれが生じている場合もある。いずれにしても、電話のやり取りで何度か失敗をしている。
メールという連絡方法が出来て私には実にありがたい。メールの広がりには感謝している。メールで話し合いをするともめるから避けた方がいいということが初期には言われた。メールでの表現が下手だったのだろう。メールのやり取りであれば、こちらの都合で都合の良い時間に対応が出来る。絵を描いて居る日でも、一息ついた時にメールを確認できる。私の場合、3,4時間に一回はメールを確認しているのだと思う。緊急の事態以外はすべてメールで済ませている。それでもメールをしな人には電話をする以外にない。電話をしないでいるうちに、ますます電話が苦手になった。電話でどう話せばよいのか、顔色が見えないの苦手だ。それでもまだ固定電話がある。いつ固定電話を止めようか迷っている。社会全体が連絡はすべてメールを優先するという事にできないかと思う。歳をとればますますメールの方が確かになる。耳で聞いた事より、メールであれば何度でも確認ができる。まだ、メールの普及が完全でない所が残念である。
農の会が成立したのは、メールが出来たためである。農作業はお天気次第で度々変更が起こる。お茶摘みの朝になって100人に電話で変更を伝えるというのは不可能なことだ。それがメールであれば、朝7時にメールで最終確認の連絡を入れるとして置けば、間違いなく情報が伝わる。農の会でも初期の段階では、メールではなく、電話とはがきで連絡すべきだ、という主張が強くあった。メール以外では無理だと説明しても、それは差別だというのだ。メールをやらない人に対する差別だから、メール連絡は止めた方がいいと主張した人がいた。確かにその人はメールをしないのだ。もしその人の主張通りメールを止めていれば、農の会の活動は今頃成立していなかっただろう。どのようなことも、万全などという事はない。判断である。どこかで何かを切り捨てて、止む得ず判断せざる得ないのだ。ある集会に目の見えない方が参加された。その人は配られた文章が、読めないことは差別だと主張して、30分ほど抗議が続いた。しかし、小さな内輪の集会で、目の見えない人が参加することを想定して準備ができるだろうか。
メールで一番有難いのは、自分の書いたことが確認できることだ。私の場合、電話ではそこが一番危うい。その時その時で思いついたことを主張しているので、一貫しているつもりでも違って伝わっていて、自分が逆のことを話していたなどと言われることがある。そういう時にメールでは再確認できる。人間あやふやなものだ。思い込みも強いものだ。電話が不確かだからといって、すべての電話を録音するというのでは、電話してきた人にいちいち断らなければならない。その点メールは必ず記録として残るという点が良い。初期段階ではメールに慣れていないために、メールで真意を書き表すことが苦手な人が多かった。今は、メールでそこそこ話が通ずるようになった。有難いことだ。これからは固定電話というものは無くなるだろう。そして、携帯電話であれば、メール機能がある。緊急時以外は、言葉より文章の方が間違いがない。