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笹村 出-自給農業の記録-

楽しく死ねる話。

   

 

10月15日石垣島で、在宅医療の現場を描いたドキュメンタリー映画「明日香に生きる。」の上映会があった。監督は溝淵雅幸氏で上映会のために石垣に来てくれた。そして出演者の1である、佐々木慈童尼僧もきて下さった。慈童さんは「やまと尼寺精進日記」に登場する副住職さんである。

のぼたん農園の村田さんのご縁で、この映画上映会とシンポジュームが開かれることになった。素晴らしい発想と努力をされたと思う。おかげで楽しい時間をいただくことが出来た。この年になると、在宅医療は我がことの映画である。真剣に見入ってしまった。

溝淵監督が司会進行をされ、3名の在宅医療に関わる方々から、素晴らしいお話を効かせていただく、ことが出来た。上映後のシンポジュームでは、地元の在宅医療病院の院長今村昌幹先生が、ご自身が旭川から石垣に来てからのお話をして下さった。八重山病院で40年診療をして下さった先生である。

もう1人波照間島の「すむづれの家」の保田盛信旦さんも話しに加わり、これほどの自然さはまずないと言うほどに、波照間に戻られてからの、良いお話を聞かせていただくことが出来た。みんなに乗せられていつの間にか、この役に就いていたと言われていたが、どれほど重い仕事をになわれていることかと思う。

皆さんのお話と、空気感で死んで行くと言うことに対して、少し認識を変えることが出来た。何となく、楽しく死んで行けるかもしれないと思えたのだ。波照間島のお年寄りのすべての人が、島で死にたいと言われるそうだ。島で死にたいという最後の願いをかなえてあげたいというのが、「すむづれの家」らしい。

すむづれという言葉は、住む連れではないだろうかと勝手に思っていた。「すむづれ」とは「手に手をとって、心ひとつに」という意味の方言です。と書かれてあった。遍路修行者は複数人であっても、個人とお大師さまの「同行二人」である。そのことを思い出した。住む連れ、同行二人と重なる。

人間にとって死ほど絶対的なものはない。すべての終わりである。だから子供の頃から死を恐れに怖れてきた。死が怖くて眠ることが出来ない子供だった。強くなって死を克服したいという思いが、僧侶になった一番の要因であったように思う。死にたくないのだが、死ぬしかない。この絶対力の理不尽をどう克服できるかと思って生きてきた。

何かそのかさぶたが剥がれたような気がした。76歳になったと言うことであり、素晴らしい皆さんのお話を聞くことが出来た。と言うことなのだと思う。生きると言うことを終わって、無に帰るときには、笑って楽しく死んで行く死もあるのかもしれないというような気になっていた。

自分としては驚くべき変わりようである。ぬちぐすい診療所の今村先生の雰囲気が最高である。全くパフォーマンスのない人間のすごさ。人の死に向かい合い、できあがった見事な人間存在。死んで行く患者さんに鍛えられ、人間が磨かれたのではないだろうか。

必死に生きて、そして死んで行くことほど、素晴らしい修行はない。生き仏である。誰にでも訪れる死は、人間修行の場をつくる。その生死を見つめるために、仏教では葬式をになうことになる。弘法大師様は葬式をしたわけではない。鎌倉時代になり、新しい仏教が広がって行く。そこから死者を弔う仏教が登場する。曹洞宗の道元禅師もその1人であるが、道元は葬儀をしなかった。

本格的に仏教が葬儀をになうようになるのは、江戸時代になり、徳川幕府の檀家制度という国民の定着制度を作る中で生まれた物である。江戸幕府は実に巧みな国家運営を行う。キリシタン禁令を行う。キリシタンの移住を勧める。一方、鎖国を行い国を閉じてしまう。

そして、住民がお寺を中心に、仏教として定着して暮らすように檀家制度を作る。弾圧の代わりに、新しい宗教的結束を作ろうとした。そして、寺院では教育もにない寺子屋が生まれる。読み書きそろばんの科学性がキリシタンを排除できると考えたのではないかと思われる。キリスト教の宣教師は庶民が論理をもってキリスト教を否定することに驚いたという。

3人の方には全く力むところがなく、平静であり自然である。日々類い希な暮らしをされている方であるからなのだろう。生き仏である。しかし、当たり前の日常であることを皆さんお話をされていた。いつの間にかそこに居たと言うことである。深い信頼感を感じた。医療に従事するという以上に、皆さんが卓越した宗教者見えた。

お話を伺っている間に、そういえばあの映画では死んで行く人のそばで、明るく笑う場面があったと思いだした。楽しく死んで行くとすれば、別れは悲しいものであるが、楽しい別れとして位置づけられるのかもしれない。と考えて居た。私も遠からず死ぬ。しかし、ああ楽しかったと死んで行くことが出来そうな気がしたのだ。

少なくとも、死んで行くと言うことを、悲しいものと考えることは違っている。この新しい視点に気づかされた。確かに楽しい日々を生きているのだ。生まれてきたときと変わりなく死んで行くと言うことは自然なことである。人は人と出会う。そして分かれる。それが生きると言う悲しさである。

が、見方を変えれば、死んで行くこともまた、悲しいだけのことではなく、価値ある生きてきた最終場面に違いない。病で身体は衰えるのだろう。年齢とともに身体は衰えるのだろう。脳の方も次第に惚けて不明瞭になるのだろう。それはそれで受けとめるのが死を迎えると言うことのようだ。

人間の生きると言うことに伴う死というものを、一つの在り方考えられないこともない。この死との出会いで、考え方を変えることが出来ればと思う。どれほど重要なことを教えられたのかと思う。有り難い一日だったと思う。これから少し生き方が丁寧になるような気がした。

毎日のぼたん農園で人と出会うことができる。少しづつ少しずつ農作業をすることが出来る。生きていると言うことはうまく行かないことの方が多いわけだが、そこから学ぶことは出来る。死ぬまでこうして生きることができるとしたら、私の死んで行く日は楽しい喜びの日として迎えられるかもしれない。

毎日を十分に暮らして行くと言うことを改めて、考えた日であった。意外な死に対する転換が出来たような気がした。まだ確かかどうか分からないが、死を楽しいものとして受け止めることもある、と言うことだけは理解できた。これは宗教的な自覚と言うより、人間の暮らしから来るものらしい。

良い人々と、精一杯助け合って暮らすと言うことは、楽しい死を迎えると言うことにつながっているらしい。楽しく死ねると言うことは、十分満足して死ねると言うことらしい。予定としては23年先の話であるが、必ず来るわけで、この23年をどれだけ十分に生きることが出来るのか。

のぼたん農園はその生きる課題になっている。どれだけ真実に日々を暮らすことが出来るのか。今の私にはやはり自給農業技術の確立である。天水田稲作技術。五穀栽培の確立。樹林コーヒー園の実現。大豆台湾式栽培法。溜め池造成と蓮と睡蓮。水源林の造林。そして、私絵画を描くこと。

あと何年動けるかにかかっている。予定では残り、6年である。それでも足りないかもしれないが、ともかく6年は普通に動ける状態でなければ、農業技術の確立は実現できないだろう。動ける身体を維持するための動禅体操の継続。今の所まだ医療のお世話にならないでも大丈夫そうだ。

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