カヌー選手が禁止薬物をライバルに飲ませる。

   

日本カヌー連盟は九日、昨年九月のスプリント日本選手権に出場した鈴木康大選手(32)が、大会中に小松正治選手(25)の飲み物に禁止薬物の筋肉増強剤メタンジエノンを混入させ、小松選手がドーピング検査で陽性となったと発表した。

まったく世も末である。こんなひどい事件は聞きたくもなかった。一流選手の賭博事件もあった。何か日本のトップ選手の世界がおかしくなっている恐れがある。競争に勝つために、日本のトップ選手が、仲間の有力選手に禁止薬物の飲ませたのだ。何のためのスポーツなのだろう。ソビエトでも東ドイツでもない。日本までこんな国になってしまったのだ。全く聞きたくない事件だ。これはアベノミクスの結果だ。そこまでして、他人に勝利して何になるというのだろう。競争が完全に人間をゆがめている。ゆがめられたような人間が勝ち残る社会を想像させる。日本人が間違った方向に歩んでいる一つの事例だろう。たまたま露見したが、こういうことはをやりかねない、空気は広がっていると考えた方がいいだろう。オリンピックとまでは行かないでも、学校スポーツでもこんな考え方が蔓延していないだろうか。結果だけを重視して、教育がなおざりにされていないか。良い大学に入る。良い会社に入る。結果が良ければ、良い人生が遅れると思い込んでいるのではなかろうか。

人間性が腐りきった卑劣な事件である。スポーツマンシップはどこに行ったのだろう。こんなことならオリンピックなど止めた方がいい。スポーツを行うのは心身ともに健全な人間になる為だ。それがただ勝てばいいとここまで人間をゆがめてしまった。この事件は氷山の一角と考えた方がいい。強い選手は汚い選手という言ことになりかねない事件だ。スポーツを行う事で、ゆがんだ人間が作られている可能性が否定できない。スポーツが素晴らしいのは人との戦いに勝つという事以上の目的がある。自分との戦いに勝つからである。卑劣な行為をしてまで他人に勝ちたいという背景にある社会。それは競争を正義とする社会である。このブログではその間違いを百回以上書いているかもしれない。スポーツに限らず、あらゆる分野で勝つことのみが価値であるという風潮だからだ。負けたっていいじゃん。ダメでもいいじゃん。

他者との競争に勝つためでなければ、力を出し尽くさないと人間を安く見ている。この人間観が資本主義の考え方だろう。競争させ努力を引き出す。この人間観は実に浅いことだ。人間が本当に力を出せるのは、自分の為の努力ではなく、他人の為の努力である。私はこのことをあしがら農の会で学んだ。一人ではまあいいかとなることを、みんなの田んぼだと思うから、やり尽くすことができる。自分というものを絞り出すためには、仲間が必要なのだ。価値観を共有できる仲間が必要なのだ。これは昔から言われる、百姓根性とは一番遠いいものだ。同じ農業者でもずいぶんよくなった点だ。人のために頑張れる社会を作ることが政治の目的である。自分のことに追われてしまい、人の為どころではない社会であれば、卑劣な勝ち方を画策するような人間が現れてくる。

人の為にも頑張れる人間は増えてきたと思う。自分のことだけでない人間は増えてきた感じがする。50年前よりは、人の為を考えられる上質な人間が増えていると思う。しかし、こういう卑劣なスポーツマンが登場するように、人間の格差も顕著になっている。競争の中で、倫理を育めない人間である。一人で全てがやれると思い込んでいる人間なのだろう。人間が一人でやれることなど知れている。人間は弱い。だから励まし合い、助け合い生きてゆく必要がある。力のある人も、力のない人もいる。子供もいる。年寄りもいる。お互いを補い合い、出来ることで助け合う。このことが良い環境を作る。誰かに勝つためではなく、自分の精一杯が人の為にもなる。これが当たり前になる社会を作るのが、政治の目的のはずだ。ところが、政府自体が競争に拍車をかけている。倫理もない。それはトランプ大統領を見てみれば、良く分かる。室伏選手が、自分が食べるものから目を離すなど、選手としての自覚が足りないと語っていた。そんなひどい環境の中でスポーツなどやるべきではない。東京オリンピックでさらにこんな悪い風潮が広がらないことを願うしかない。

 - Peace Cafe