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笹村 出-自給農業の記録-

色彩に美しいも汚いも無い。

      2025/10/22

 

あらゆる色彩が美しい物である。そもそもの色彩に美しいも、汚いも無い。自然という物はそうできている。美しいとか汚いとか言うのは、人それぞれの受け止める判断であって、自然はそのようにあるだけの存在である。その人の受け止めの違いが絵として表現されるものかもしれない。

人間は自然の完全なる成り立ちから学ぶことが出来る。自分の目で見て感じることが出来るならば、あらゆる色彩が自然界には存在して、見事に調和していると言うことが感じられるはずだ。自然という言葉がいみするように、自然であること以上のことはない。

水彩絵の具はどんな色であれ、使い方次第で美しくなる物だ。絵の具の個々の色に美しい色とか、汚い色とか言うことはそもそも無い。変色する絵の具は別にして、使っては成らない絵の具の色彩などあるはずも無い。色彩と言う物は、組み合わせによって、どんな色も美しい色になる可能性を持っている。

色彩は画面に置かれた色として、全体の調和なかで、その個々の美しさが決まる。だから、私にとって絵は豊かな色彩に満ちていなければならない。色彩の私らしい調和を作り出そうとしている。それはどこまでも自然から学んだ色彩である。子供の頃からの記憶の蓄積である。

甲府盆地のお盆の縁のようにある、山の中にに生まれ育ち、自然という物がそのような調和の中にあると言うことを教えられた。甲府盆地とそれを取り巻く、いくつもの山襞の重なる自然という調和の中では、どんな色でもごく自然に存在する。つまり自然は破綻無く、収まっている。常に調和する方向に収束しようとしている。

それを人間が画面という区切られた中に、新たな人工的な調和を見つけ出そうとするために、汚い色が現われる。我慢ならない破綻が現われる。人間の行う人工的なことは調和が無いためだ。自然という物は実に見事な調和を持っている。調和したために安定したのだろう。自然は安定し調和することで収まる。

人間の持つ時間軸で言えば、永遠の中で色彩が安定したと言えるのだろう。形だって同じことで、自然の中に間違ったような形などない。間違って生えている木も、草も無い。庭石は自然の石でなければならない。庭石を人間が造形すれば、必ず不調和になる。人間が作り出す形が、自然の中に調和することはまず無い。

調和した造形物という物は、何千年の古代遺跡であっても自然から見れば、不調和な物だ。人間の行いという時間軸が、あまりに短いため起こることだろう。何十万年とせいぜい何千年の差だ。人間の行為など、すべて消えて行くことで自然の中に溶け込む。それが人間は消えないような馬鹿げたもので暮らしになり、感覚が狂い始めている。

形も色も、限られた空間に取り込むことによって、不安定化し調和が崩れる。無彩色の方が調和はしやすい。素描や書は調和はしやすい。しかし、色彩のある世界を色彩をのぞいて、自分の物にすることは不可能である。だから素描は世界観の中の、ある一部を切り取る物なのだと思える。

私絵画には色彩が必要である。記憶は色彩を伴っている。素描では世界観の全体をあらわすことは出来ないからだ。色彩の調和を画面に作ることが、その人間の調和とするところの表現になる。私はこれを宇宙の調和だと思いますという提示が、絵画なのだろう。自分の調和を目指すことが、絵を描く思いだ。

どう言う絵の具が好きだ。あの色は汚い。と言うような考えは、絵を描く力が無い人の言い草である。その人には、その色が使えないだけのことなのだ。その人の世界観が狭い、あるいはゆがみがあるために、色彩を使えないことになる。色彩の大きな調和を求めてあらゆる色彩を使うべきなのだ。

私の絵にはすべての色彩が現われて欲しいと考えて居る。出来ればすべての色が一枚の絵に存在して欲しいくらいだ。色はできるだけ多様であって貰いたいといつも思っている。世界を描いているのだから、絵が多様な色彩で出来るはずだと思っている。

コシノジュンコさんが文化勲章を受章された。服飾デザイナーの受賞は三宅一生氏と森英恵さんがあったので、3人目となった。ファッションの世界的な活躍から考えれば、まだまだ評価が足りない。三宅一生さんは多摩美出身で、絵画よりも社会性のある服飾デザインに新しい分野を切り開いた人だ。

コシノジュンコさんのだんじり魂の話は朝ドラで感動していたので、文化勲章で評価されたことはとても嬉しい。絵画に比べて日本の服飾デザインは、世界的に注目をされてきた。私がパリで暮らした時代には、コシノさんや高田賢三さん山本寛斎さが注目されていて、デザイナー志望の日本人と出会うことが多かった。

パリコレでは山口小夜子さんが注目されて、日本人ブームとなっていた。パリの下宿の隣の部屋に、加藤小次郎さんという原宿でお店をされているという方がおられた。その方に何となくパリの日本人でザイイナーの世界を教えていただいた。絵とは違い、まさに世界的だと言うことを知った。

特に素材の扱いが日本人は独特と言うことが印象的だった。日本の伝統的な織物の素材感を現代の服飾に再現するという仕事だ。インターナショナルであると言うことは、ナショナルであると言うことだ。このことを改めて知った。マチスボナールであることは、浮世絵であると言うこと。

日本的な色彩、日本的な素材感、そうした土着的とも言えるものが、自分の中にもあり、それを見つめ直す以外に、表現というものはないと言うことを、パリで学んだと思う。それを教えてくれたのが、パリでの日本人デザイナーの活躍だった。ヘアーメイクでも、ボーグの表紙を飾るヘアーの担当が日本人デザイナーだった。

あのころ、日本画の巨匠の個展がパリの画廊で会ったが、ただ貧相なだけだった。絵に力がなく、石の壁に圧倒されていた。そもそも話題にさえならなかった。日本の画廊もパリには2つあったのだが、フランス人画家を日本で紹介する目的で、日本人画家を世界に売り出して行くという様子ではなかった。

最近は漫画の世界がやはり世界で注目されている。パリにいたころ日本の漫画は世界的なものに成ると確信していた。絵巻物の伝統や、浮世絵の世界観は必ず世界が注目すると思えた。いつか、ちばあきおを理解できる人が世界に溢れると考えて居た。50年経った今そういう時代が来ている。

一方日本の絵画の世界の衰退は、日本経済の停滞以上である。その理由は西洋かぶれである。日本人の土着性に根ざした表現を出来ないからだ。未だにパリ風景を描いてそれが商品になっているほどの、低迷。日本画の伝統が災いしているのかもしれない。床の間の飾り物の商品絵画ばかりなのだ。

その理由は日本人が土着を失ったためだ。水土に根ざした生活を失ったためだ。日本の自然の中で暮らすという、根っこを失ったために、自然から受ける色彩の記憶が消失した。それは、徐々にすべての表現に波及して行くはずだ。自然と関わる暮らしを失えば、表現の原点の豊かさが消える。

記憶した色彩が消えると言うことになる。人工的な環境の中にある、人工的な色彩から受ける記憶は、自然の色彩から比べれば、何万分の一の変化であり、大きさである。このちゃちな人工物からしか影響を受けることが出来ない人間。自然の中に戻るしかないのだろう。

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