地場・旬・自給

笹村 出-自給農業の記録-

学ぶことが出来る人

   

 

学ぶことが出来る人になりたい。わずかでも学んで死ぬその日まで成長をしたい。そう思って、生きている。ところが学ぶと言うことは極めて難しい。学ぶと言うことは自分を否定すると言うことを含んでいる。自分がダメだ、まだまだだと自覚していなければ、学ぶということは出来ない。

これで良しと言うことになれば、学ぶことはできなくなる。人間は歳をとるとこれで良しになりがちなのだ。自分が頑なになり、人の言うことを聞けなくなる。困ったことにそれだけでは無くて、人がやることを問題点から見ることになる。ああ悪い、こう悪いと、悪いところばかり気づくことになる。

周りの人の良さが見えなくなれば、当然学ぶことは出来ない。これでは成長どころでは無い。衰退が始まる。死ぬまで学ぶことが出来る人間でありたい。そう考えて絵を描いている。絵は正直な物で、学ばなくなれば、たちまちに陳腐化する。世間にはそういう有名画家がいくらでもいる。

先日何故ブログを毎日書くのですかという質問をされた。何となく何故そんなおかしなことをしているのかという語調だった。文章が上手くなりたいからです。と答えた。「上手くなってどうするのですか。」というのが次の質問だった。「上手くなりたいのであって、上手くなってその先は無い。」と答えるしか無かった。

当然というか、「上手くなって、何か目的があるのでしょう。」とさらに聞かれた。「いやー。うまくなれればそれで良いわけで。」などと曖昧なことを答えるほか無かった。文筆家になろうなどと言うわけのはずもない。ただ、良い文章を書いてみたいとは思っている。

大学の時に、美術部に大山さんという檜枝岐の出身の友人がいて、その人は小説家志望だった。文学志望で毎日文章を書いていた。美術部ではガリ版刷りの文章誌が文芸部のように、作られていた。大山さんはそれには参加しなかった。自分は専門家だというような物があった。

大山さんはどこか孤独な人だった。その大山さんと何故か親しくなった。しかし、今ではどうしたかも知らない。毎日文章を書く以外に、自分の文体は出来ないと教えてくれた。小説家になりたいという目的の人に始めてお会いしたので、毎日文章を書くことしか無いらしいと教えられた気がした。

その暗示のような物があって、ブログを毎日3千字書くことになったのだと思う。努力だけはしたいと言うことである。努力もしないで自分の文体が出来ない。などと嘆いたところで始まらない。毎日書いていれば、いつの間にか読みやすいのに、世界観がにじみ出る文体が生まれるだろうと考えて居る。

井伏鱒二の文体が目標である。

勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離

この盃をうけてくれ

どうぞなみなみつがしておくれ

花に嵐のたとえもあるぞ

さよならだけが人生だ

于武陵「勧酒」(井伏鱒二訳)、井伏鱒二「厄除け詩集」より

春暁    孟浩然
ハルノネザメノウツツデ聞ケバ (春眠不覚暁)
トリノナクネデ目ガサメマシタ (処処聞啼鳥)
ヨルノアラシニ雨マジリ (夜来風雨声)
散ツタ木ノ花イカホドバカリ (花落知多少)

いつかこんな文章が書けるようになることが目標である。生きていること、死んで行くことのすべてが、この短い詩にある。まあ、大それたことであるが。言葉には素晴らしい力がある。奈良時代の詩人は山の上から、言葉を歌ったという。神に言葉が届くとの祈りである。

万葉集というように日本では和歌を集めて国書とした国である。感傷的な詩を国が、読み人知らずの物まで集めたところが、日本らしいと思う。言葉に命の力があると考えて居たと思われる。神さまに届くような言葉を織り出したいと言う気持ちはある。もちろん出来ないことである。

出来ないことであるのは自覚していないわけでは無いが、その努力はしたいというのが、思いである。出来ないと諦めてしまうことが、辛すぎるので、攻めて努力をしているから、いつか、もしかしたら、そういう気持ちである。そう思い今日もこのように書いている。

絵も同じである。考えないで書く。出てくる物に委ねて書いている。それがブログという形式がとても良い。日々の一枚でなんとか、自分に到達したいのである。自分を完成させたいと言うことである。それが生まれてきた命を燃やし尽くしたいと言うことになる。

死ぬまで学ぶことを忘れたくない。明日処刑される吉田松陰はその日も勉学に励んだという。何かのために学ぶのでは無く、学ぶために学んでいる。そう言う生き方こそ良いのだと思う。只管打坐である。目的があって座禅をするわけでは無い。座禅をすると言うことでそれで良い。

と言いながら、上達はしているのだろうか。以下はブログの最初に書いたものである。20年前のことになる。日々努力してきたつもりだが、井伏鱒二に近づいているだろうか。

2006-03-06 07:11:17 | あしがら農の会
あしがら農の会は足柄地域のさまざまな循環の、特に農業分野の新しい循環づくりの一助になればとの思いを「地場・旬・自給」として掲げ、1993年(平成5年)に設立されました。
その後、会の活動に賛同する方々も増え、市民農の活動を中心に、有機農業技術の研究や新規就農者の研修などにも道が開けてまいりました。
あしがらの地は、全国でもまれにみる、気象条件、経済地理的条件、農地と隣りあ
う市民の暮しなど、新しい農業の可能性に恵まれた地域です。このような地で新しい試みを始めることは、日本の食糧自給への試金石になると考えております。これは、多くの分野で行き詰まった、暮らしのあり様を変えていくことにつながっていくことでしょう。
具体的な活動として、食糧を自給したいと考える市民を中心とする田んぼの会やお茶の会があります。そうした市民農を支えてくれる中核となる農家の農産物の宅配も行っています。これらの活動から派生して、技術研究会、新規就農者の研修会などその他多くの事業が生まれてきました。
私たちは、これからもこの活動を誠実に進めて、あしがら地域に農に根ざした新しい暮しの文化が生まれることをめざしてゆきます。基本となる考え方:農を通して、以下の目的の達成をめざします。
1、足柄地域の健全な循環型生活圏つくりの一助となる
2、足柄地域にふさわしい農業と市民生活の混在する風土作りに寄与する
3、市民と地域が互いに恩恵を受ける新しい暮し方を提案する
活動の方針:以下の方針で事業を進めます。
1、 放棄農地の復興をはかると共に発生の減少に寄与する
2、 化石燃料依存を減らし、自然の力を活用する農法を確立する
3、 市民自給型の新しい暮らし方を追求し、提案していく
4、 市民農と農家との互恵のしくみをつくる

 

今より、聡明そうな振りが感じられる、生堅い少し嫌みな文章である。少し無理をしている嫌いがある。しかし考えて居ることは20年経ってもほぼ変わらない。内容のことでは無く。文章として同化と言うことになる。文章を読み返してみたが、前進があった風でも無い。

前進できなこともまあ、仕方が無い。学ぶという努力はそういうことではないか。効率よく良い物になるなどと言うことは無いのだろう。良い物が自分の中に出来るまで、努力をするほか無い。つまり自分と言う人間を高めるために努力をしていることになる。

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