山尾志桜里氏の改憲論の正しさ。
山尾志桜里氏の改憲論は良い提議だと思う。憲法を全くないがしろにしているアベ政権の改憲論に対峙している。憲法には変えた方がいいことがいくつかある。護憲勢力の中には、憲法論議を避けて、まるで神学のように憲法を守れとする勢力もある。守っている間に何が起きているかである。アベ政権は解釈を無限に広げて、憲法の精神を踏みにじっている。アベ政権の憲法に対する姿勢は、一言で言えば政権にとって邪魔なものという事だろう。憲法がなければ、日本の安全安心に責任が持てるとまで考えている気がする。憲法があるがゆえに、専守防衛という戦う事の出来ない条件にされている。そこを近隣諸国に付け込まれていると考えている。その角度から憲法を改正しようという考えなのだろう。ところが山尾氏の改憲論は、政権が憲法をないがしろにできないような憲法に、改憲すべきというのである。全文を読んでもらいたいのだが、有料記事になっている。
第2次安倍政権のもとでは、たとえば以下の現象が起きている。
① 憲法9条があるにもかかわらず、集団的自衛権の一部を認める安保法制が成立した。
② 憲法69条、7条のもと、大義なき解散が頻発している。
③ 憲法53条の要件を満たした臨時国会召集要求が無視されている。
④ LGBTの権利保障が不十分で、与党幹部から差別的発言がなされ、LGBT差別解消法が審議拒否され、同性婚も認められていない。
⑤ 国家が保有する情報に対する国民のアクセスが十分に保障されず、南スーダンPKOの日報問題や森友・加計問題の真相解明が進まない。
⑥ 共謀罪の成立により、捜査権力による国民のプライバシー権制約は侵害のレベルにまで達しようとしている。
政権から独立したいわゆる「憲法裁判所」を設け、チェックを委ねることを、積極的に検討すべきである。
正しい見方である。まっとうな日本国憲法の下での、アベ政権のでたらめな政治のちぐはぐが分かる分析である。立憲民主党は山尾氏の観点から、憲法論議をアベ政権に対してぶつけてゆく必要がある。その根底に作り上げなければならないものは、武力を用いない平和主義で、どのように日本の安全保障を確保するかの具体策である。その安全保障の現実論の中で、自衛隊はどこに位置づければよいかである。ここがわかりやすく示さなければ、アベ政権に押し切られることだろう。私は警察予備隊は必要だと考えている。警察予備隊の基本となる活動は災害救助隊である。日本は災害列島の上にある国である。必ず毎年大災害があるとしなければならない。繰り返される自然災害に備えた安心を、そして対応策をとるのは政府の責任で行わなければならないことだ。災害救助隊は世界の災害にも駆けつける組織であってもらいたい。高い救助能力を持ち、また、被災国に日本が信頼され、受け入れにためらいが起きないような組織になる必要がある。
日本の救助隊が来てくれたから、もう大丈夫だと信頼されるような組織になる必要がある。それが日本憲法に示された平和主義だと思う。災害救助隊は第2の任務として、災害だけでなく国土の安全保障、防衛にもあたる。海上保安庁の役割も含むような組織に改編する。どれだけ平和外交を展開したとしても、何があるかはわからない。それに備えるのも政府の役割だ。警察だけでも、海上保安庁だけでも対応はしきれない部分がある。現在の自衛隊が担う役割であるが、自衛隊という名称はこの機会に止める。憲法には災害救助隊を明記したらいい。専守防衛を徹底する為には、現在の自衛隊はいつの間にか実質軍隊に変えられている。近隣諸国に不安を与えるような、装備はしない。その攻撃力を持たない国をどのように安全を保障するかを、世界全体で模索することだ。今の時代を武力が最小限で済む時代の角期と考える。
しかし、現実の世界は確かに戦争に突き進みそうな情勢である。そんな専守防衛論で、日本にミサイルが飛んできたらどうするのだ。このような不安が私にもある。イスラム国や北朝鮮の様な訳の分からない暴力主義の国が登場を繰り返している。この対応である。この対応をどうするかである。アベ政権は必要な時には先制攻撃をするという事だろう。ところが、それが解決にならないことは明らかである。さらなる狂気を持った集団や国家が登場する。力の対決という事は、一見明快な解決が待っているかのようだが、実は問題の解決には少しもならず、問題を深刻化させ力で黙らせているに過ぎない。抑えられたものは必ずどこかで再爆発をする。イスラム国は分解したかのように見えるが、テロに追い込まれた集団が世界に拡散したともいえるのだ。この悪の連鎖を断ち切る平和主義を日本は打ち出す必要がある。その一つの手段が国際災害救助隊の活動である。日米軍事同盟も段階的に解消する。むしろ近隣諸国との安全保障条約を締結を目指す。