ノートパソコンをどうしようか。
毎日ブログを書いてはいるが、パソコンについては、少しも解っていない。このブログでの画像の入れ方でも、実はよくわからない。文章の途中に入れたいとか、二枚入れたいとか思っても、できない。ブログの立ち上げも、だいぶ前にTakeさんがやってくれたので、その時は理解したつもりだったが、今はそーと何もせず、おかしくならないように続けているだけである。ときどき、書いた文章をアップしようとして、消滅しまうことが何度もある。ワードも文章の後ろにカーソルが行ってしまい、変換がやりづらい、やりづらいがよく解らないからそのまま続けている。まして、新しいパソコンと言っても何がなにやらわからない。あちこちの場所でパソコンが打てれば便利だと言う気がするのだ。ノートパソコンというものがいいのではないかと思うが、画面が近すぎないかとか、キーボードが打ちにくいのではないか、モーター音が高いのではないか。素人ならではの心配がある。
それでも、違う部屋で使いたいと言うのもある。出来れば石楠花の家でも、養鶏場でも、仕えれば便利である。インターネットがどこでもできると言うシステムをテレビで宣伝していたので、これはいいと思い、電気屋さんに行ったら、小田原ではまだ使えません。と言われてしまった。Takeさんに聞いたら、小田原でも出来るらしい。何がなにやらわからない。解らないから、そのままである。それでもなんでも自分でやってみる方なので、長いケーブルを買ってきて、離れた部屋で古いパソコンが使えるようにした。ターミナルという物がいると言うので、それも買ってきて繋いだ。確かに2台使えるようになったが、メールを片方で開くと、片方で見れなく成るという不便が起きてしまった。どう言う事だろう。Takeさんによるとやり方があるらしいが、わからない。それで、片方では置いてあるニフティーまで行って見る様にした。しかし、不便である。パソコンと言う機械はなんとも不親切なものである。
こんなに普及してきている機械なのに、いつまでも使いづらい。私の脳と一緒で、使っているのは1%にも満たないのだろう。新しくなればなるほど、使いづらく成るという機械も珍しい。パソコンやら、インターネットと言うのは老人向きのものだと思う。図書館に行かなくても、調べ物が出来る。なんでも買い物が出来る。大抵の用事は座ったままできる。老人向きのパソコンが一番の売れ筋なのに、ゲームが出来るとか言う若者向きばかりだ。本来なら、こういう痒い所に手が届くような便利な機械は、昔の日本人なら得意そうな分野だ。案外中身は日本のものではないようだ。トヨタのリコールやら、新幹線のボルトの閉め忘れやら、日本人がずいぶん普通になってきているので、日本人の工夫力もあまり期待できない。
ともかく、ノートパソコンを買うぞ。インターネット環境は今のレベルで我慢すれば、何とかなる。問題の、無線ランというものが、石楠花の家まで繋がるかとか。隣の家まで繋がるか。やってみなければわからないところだろう。無線ランというものと、延長したケーブルとは、どういう関係になるのかも、いまひとつ理解できないがやってみよう。理解できないことを教わると言う事は、実に難しい。先日、パソコンなんでも相談。と言う所に出くわしたので、これ幸いと聞いてみたが、お互い言葉が通しなくて、なんか劣等生になってしまった。「解らないなら、質問しなさい。」小学校2年生の時の怒った先生を思い出した。どこが解らないのかが、解らないのだ。だから、パソコン教室とか、そういう所は、敬遠気味である。テレビのパソコン教室など、つい見るのだが、解っている事や、どうでもいい機能を長々説明している割に、肝心の知りたい所は何もやらない。