りんごが捨てられている。
ひょう害やつる割れなどに見舞われた2008年の青森県産リンゴが大量に余り、農家が処分に四苦八苦している。リンゴ収穫量日本一の弘前市では、2月末で30万箱(一箱20キロ)以上を在庫として抱え、苦肉の策として堆肥(たいひ)化が進められている。板柳町の河原では大量の不法投棄が見つかるなど、余剰リンゴの後始末が問題化しつつある。一箱300―500円の市場価格では出荷しても採算が取れず、加工用リンゴとしての引き取り手も見つからなかった。(以上河北新報)農業の実状が良く見て取れる。売れなければ捨てるしかない。捨てるにも費用がかかる。一方、海外からはドラム缶で濃縮ジュースが、日本産のたぶん数百倍輸入されている。小田原のスーパーで日本産のジュースは、ポンジュースぐらいになった。つい最近まではメグミルクの国産ジュースを扱っていたが、今めったに置いてある事はない。売れないからである。
日本農業が危機的状況にあると言う事は、誰もが言う。田んぼが様々な意味で大切であると言う事も、今や常識のように言われるようになった。所がお米は余るし、ジュースの加工も国内産では出来ない状況なのだ。どこから解きほぐせば良いのか途方にくれるような状況である。輸入ジュース100%濃縮還元。これが1リットル120円とかからある。200円以下が大半である。はっきり言わせて貰えば、濃縮還元は美味しくない。国内産ジュースは1リットル500円以上と見れば良いだろう。もう少し安い製品もある。調べた範囲では300円以下はない。価格はは蜜柑だろうが、りんごだろうが、たいした変わりはない。何しろ、横浜港にドラム缶で濃縮されたジュースが到着してから、山北の柑橘加工工場に運ばれる費用の方が、ジュース現物よりかかると言われている。製品価格の120円の中の、海外での農家が受け取るりんご一個の価格は、1円以下と想像される。
それでも、りんご1個が1000円で上海で売れているから、競争力のある農業に成れ。これが小泉改革の主張であった。農産物を工業製品と同列に論ずることは、出来ないこと。日本では、余って不法投棄するりんごも、加工用に回せない。全ては価格差である。日本でりんごを絞れば、原料が安くても加工費が高い。加工費の差は人件費であり、工場の規模、システムと成る。農家のだけの責任ではない。少なくとも、りんご農家に蜜柑農家に、手に負える問題ではない。消費者が変わること。本当の搾ったジュースの美味しさを思い出すこと。ジュース会社が悪かったのだ。日本酒が売れなくなったのは、不味くなったからである。酒造大メーカーが擬似日本酒を大量生産した。これが悪かった。今は小さな酒造メイカーが普通のお酒を造り、徐々に美味しくなって、売れているものも出てきた。
ジュースと言いながらも着色剤のオレンジ色にサッカリンでも混ぜた、擬似ジュースが横行し、ジュースの味がわからなくなった。味が判らないから、ジュースが価格だけで選択される。食べ物をこうして、つまらない、奥行きの無いものにしてしまったのは工業的かかわりにある。全ては経済に負けたのだ。安さを超える価値観は、存在できない。それは、国土を守ると言う価値も存在できないと言う事を意味している。国土が荒れてきている。農業、林業、衰退が著しいのは、安さに負けたわけだ。高いけれど、地域のものを食べる。地域が守られなければ、国は滅ぶ。安さという魔物に、日本国は滅ぼされそうだ。農産物が捨てられると言う事は、そう言う事だ。踏みとどまるすべは、工業製品と、農産物を同列に考えない。国土を守るためには、価格を超えること。それが、地場旬自給である。
昨日の自給作業:めだか田んぼの準備4時間 累計時間:16時間