中心市街地の空洞化
街が寂れてゆく、このことはそもそも問題なのだろうか。街が寂れると税収が減る。所有財産の資産価値が減少する。こうしたことは何か問題だろうか。成り行きに任せる方がいい。お年寄りが買い物に不便である。こんなことが言われるが、昔に較べれば随分便利なものだ。便利さには限界がないだけだ。商売になるなら、必ず変わるものは生れてくる。購買力があるなら、そこを埋める力は水位が下がれば忽ちに注いで満杯にする。それが商売というものだろう。埋める力がかつての商業者にないならば、それは仕方がないと言うもので、常にそうして勢力は後退してゆく。自分の商売の不振を社会の性にするようでは、そもそも商人としてダメだ。全国に展開する大型チェーン店が進出してくる。そこに商圏を奪われる。当然の事であり、商業者自ら解決するべきことで、他人が関わることがそもそもおかしい。
街づくりのデザインというものは、地域全体で作るものであろうが、商売に行政が関わるようなことは、あってはならない。それは農業でも、工業でも、商業でも、すべからく等しくなければならない。町というものの機能は何か。小田原の街づくり検討委員会での議論の方向の圧縮版が公表された。なるほどという意見もあれば、不思議に成る意見もある。しかし、いずれも予想の範囲内の見解で、これで何とか成るな。というような画期的なアイデアは今のところ無さそうだ。当然の事だろう。街づくりにおいて、誰かが何かをしてくれる。などと言う事はない。行政のやることはグランドデザインに限るべきだ。そして最低限必要なものを、必要に応じて作ればいい。商業に踏み込むようなことはすべきでない。多くの意見は、商業の活性化に期待しているようだ。とんでもないことだと思う。そんなことに市民の財産を使って欲しくはない。自動車会社がつぶれるから、税金を投入すると言う事はおかしい。
ホールについては、小田原だけのことを考えてはいけない。足柄地域全体の施設として考えなければなりたたない。郊外型のショッピングセンターも御殿場や、沼津辺りまで商圏として考えて作られる。平塚の美術館に行ったり、秦野のホールに出かけたりと言う事は、当たり前の事だろう。個人的な必要度からいえば、大きなホールなど必要にはおもえない。小田原はまともに絵を飾る場所も無い街だ。それはそれでいいと思っている。それよりも、検討委員会というものが、駅周辺の市街地の事に限っていることが、まことに残念だ。街というものがどうあるべきかが充分に議論する。経済の縮小する構造の中で、街はどうあればより良く暮して行けるのか。対抗要素としては郊外のショッピングセンターよりも、ネットショッピングだと思う。
動きづらい年寄りが増えてゆく時代。ネットショッピングの時代が来る。そして宅配である。移動店舗である。中心市街地の商業云々など。個人の利権の問題に過ぎない。全ての前提を取り払って、必要不可欠なものは何か考えた方がいい。これはあってもいい。これは、別に駅前でなくてもいい。仕分けして行く。駅前の自治会では、舟券売り場が必要だと考えているらしい。自分が舟券を買うのに便利、と言うのでなくそうすればお客が増えるだろうと言う事か。駅前はパチンコ屋が一番欲しいと言う人もいた。ともかく歓楽街だ。こう言った人もいた。駅のそばに駐車場が欲しいと言う人も多数いる。中心市街地には一切の車を入れないという考えの人もいる。お城が小田原のシンボルなのだから、お城中心の街づくりを考えると言う人もいる。賑わいの演出には足並みが揃わないとダメだ。その辺の方向が定まらないと、固定店舗衰退の流れの中で、困ったことになるだけ。