循環型社会形成推進基本法

   

庭の眺め 10号S 庭の絵は一番よく描く。自分の描きたいように庭を作って描いている。あそこに木がいるとか、あそこは抜けていなければとか、そういう事をしていると実は庭だけつくれば、描く必要はないのではないかと思う事もあるが、やはりそうでもない。

「もったいない」社会に戻るという事は、実は法律で決まっていることだったのだ。大量生産・大量消費・大量廃棄の社会は、日本では法律で禁止されているのだ。特にすごいのは、国民の義務として、製品は大切に長持ちして使え。出来るだけ中古品を使うように。ごみにして捨てるなどもってのほかだ。という具合に法律で決まっている。循環社会基本法の法律違反をしてい無い人などいないのではないか。勿論返す刀で、国はその為の義務として、循環型社会の形成に関する基本的かつ総合的な施策を策定し、及び実施する責務を有する。 となっている。所が既に国はこの責務を果たしていないという事は明らかである。国民と同様に法律を守っていない国家という事になる。その結果脱法ごみ社会という事になっているので、みんなで渡れば怖くない状態である。それでもこういう法律を未来の方角として定めている事は、時々思い起こす必要があるのではないか。

そもそもごみになるようなものなど無い。それは江戸時代に実証実験した事だ。物はとことん使って、無駄な物など何一つない。先日ごみ分別の講習を6回も受けて感じたのは、私の家では、燃やせるごみというものは、存在しないという事である。すべてがリサイクルごみか、リユースごみである。小田原市のシステムもそうした考えで作られている。しかし、「燃やせない」ごみが月に1回で、「燃やせる」ごみが週に2回という事が、そもそも矛盾している。法の精神を打ち消したのが、消費は美徳の資本主義である。どんどん作り、どんどん使い捨てろという調子である。けちけちするな、みみっちい事はするな。どんどん消費しなければ経済は回らない。要らない物まで売りつけろ、要らない物はそのままゴミにすればいいのだ。買ってきてそのまま捨てる食品が食品の30%を越えると調査にはある。それが世界の経済競争に勝つための道だ。こうしてこの50年来たのではないか。私は13年間ごみ回収の無い所で暮らした。回収が無ければごみになるようなものを買わなくなるだけだ。

「もったいない」は、実は仏教的な思想である。物の命をあわれむという思いがある。大切に使わせて頂き、物存在のありがたさに、感謝する思い。限りある物の命を憐み、尊み、最後の最後まで使わせていただく。これは仏教徒としての日本人の生き方を根本を示している。万物に命が宿る。人間も本来を考えれば、物の存在である。木であれ、石であれ、物の存在は、空に放たれば落ちてくるという共通のものである。人間が人間という価値に目覚める為には、先ず物であるという事に立脚する。新自由主義経済と呼ばれる思想の最大の弱点は、物の命を見いだせない所にある。拡大再生産のためには、廃棄して行かなければならない。物に命を感じてはいられない。そして、最後には核廃棄物のように、廃棄処理の方法すら見いだせないごみを作り出す事になった。それを安いエネルギーだとして、強弁する人達の未来に対する責任放棄は、仏教徒としては許されることではない。

ごみを出さないという事が、そもそもこの法律の第一に据えられていて、国にはごみ発生の抑制する法律を作る責務がある。所が、ご承知のように、処理もできない核廃棄物を、大量にため込んでいるのが、国自身なのだ。あの原子炉という危険な各施設の上部に、核のゴミは満杯に貯まっている。これでは法律を作るどころではない。江戸時代の様に物に魂を込めて、大切にするようになったら、経済は本当に衰退するのだろうか。むしろ経済等衰退しても、もったいないで日々を大切にして、暮らしを送る方が人間幸せではないか。どれほど収入を増やした所で、幸せな暮らしとは縁遠いものだという事を知るべきだ。そのことをアフリカのノーベル平和賞のマータイさんに、教えられたではないか。

燃やせるごみというものは、生ごみと紙ごみとビニールごみである。生ごみは堆肥に、紙ごみは紙リサイクルに、ビニールごみはプラリサイクルに。すべては循環の輪に組み込めるものだ。何故、大きな焼却炉で燃やさなければならないか。それは面倒くさいからだろう。暮らしというものはそもそも面倒なことだ。その気持ちは私にもあるので良く分かる。面倒は誰だって嫌いだ。ごみはまとめてそのあたりに置いておく。ごみ屋敷になるだろう。今や地球がごみ屋敷になりかかっているのだ。核のゴミをそのあたりに置いてあるのだ。ごみになるものを作らない。これは循環型社会の原則である。アスベストやフロンの様な作り出してはいけないような物質を、便利でお金になると言って、作り出してしまうのが工業社会である。ペットボトルが良くないのではなく、それを使い捨てにする事が良くない。


循環型社会形成推進基本法
.処理の「優先順位」を初めて法定化
[1]発生抑制、[2]再使用、[3]再生利用、[4]熱回収、[5]適正処分との優先順位。
◦廃棄物等の発生抑制のための措置
◦「排出者責任」の徹底のための規制等の措置
◦「拡大生産者責任」を踏まえた措置(製品等の引取り・循環的な利用の実施、製品等に関する事前評価)
◦再生品の使用の促進
◦環境の保全上の支障が生じる場合、原因事業者にその原状回復等の費用を負担させる措置

国民は、基本原則にのっとり、製品をなるべく長期間使用すること、再生品を使用すること、循環資源が分別して回収されることに協力すること等により、製品等が廃棄物等となることを抑制し、製品等が循環資源となったものについて適正に循環的な利用が行われることを促進するよう努めるとともに、その適正な処分に関し国及び地方公共団体の施策に協力する責務を有する。

 - 環境関連