浜岡原発停止
ついにやった。万々歳だ。この国が滅びにむかっている一日一日の姿を何とか止められた。心より有難さがこみあげてくる。長年の地道な住民の闘いが通じたのだ。いよいよこれからが、脱原子力への道を歩み始めることだ。浜岡原子力発電所のことを考えると、思い重圧を感じて暮らしていなければならなかった。今の今でも福島第一原発より浜岡が危険だと考えていた。身勝手であるが、浜岡は近いし方角が悪い。放射能の性格から、距離と方角は極めて重要になる。これから福島では土壌汚染の測定が明らかになってくるだろう。地形も重要になる。いずれにしても雨でどんどん流されてゆく。結局は外に出た放射能のかなりの部分は海に流れ出ることに成るだろう。海に出てどの程度薄まるのだろうか。もちろん福島では高濃度の汚染水が、溢れ出て染み出ているだろう。ともかく、第一歩として浜岡の危機は何とか乗り越えられそうだ。
管首相の判断は正しい。唐突とか、議論が不足しているとか。意見は撒き起こるだろうが、こうした決断は最後には一人で決めるしかない。福島のことがあるからこそ、もし今浜岡出ことが起きたら、完全な日本の終わりだ。中部電力は3号機の再開を発言するほど、状況の認識が甘い。想定が甘い。日本全体の原子力発電所の安全見直しをすると言っている。その見直し前に、停止している原発を慌てて再開する必要がどこにあるのか。明日直下で大地震があるのかもしれないのだ。もちろん可能性だ。しかしその不安感を抱えて、暮らして行くのはつらい。万が一にも安全だというところまで突き詰める。もちろん安全をそこまで詰めれば、原子力ほど高価な発電法はないということに成るだろう。まして、海外では浜岡は世界の原発の中でもリスクが極めて高いと位置付けられている。福島第一から汚染物質を大量にまき散らしているさなかである。浜岡を止める判断は当然と受け止められるだろう。日本は許されざる国に成りかかっている。
これからの日本のエネルギー政策である。政府には国を挙げて頑張れる方向を示してほしい。自民党に置いても、是非とも建設的な提案をしてもらいたい。原子力エネルギーを頭から払しょくしてもらいたい。それが政権交代の意味だ。河野太郎氏をエネルギー政策担当に据えて、民主党に提案してもらいたい。民主党には政権党として核廃棄物。死の灰の処理法を提案する義務がある。どのように処理するかを示し、その費用を具体的に示してもらいたい。六ヶ所村や、原発の一角に置いておくのでは、あまりに危険であることが、今回の事故で明確に分かった。では地中に深く埋めれば安全なのか。地震で地中で壊れた時死の灰はどうなるのか。想定できるあらゆるリスクを含めて安全な処理方法を費用とともに示してもらいたい。その上で、これからの日本のエネルギーがどうあればいいのかを国民全体の議論にしなければならない。
昨日14時、預かっていた犬のダイ君が死んだ。ダイ君の無念が浜岡原発の停止に、自分の中では結び付いた。ダイ君の不幸はすべて福島原発の事故による。あれさえなければ、ダイ君は今頃家族とのんびり暮らしていただろう。こうした不幸は今福島で無数に起きている。これほどの不幸を起こしてしまう原発とは何だろう。人間に幸せをもたらすはずだった夢のエネルギーが、実は悪魔のエネルギーだった。あれからもうすぐ2ヶ月が経つ。繋がれていた犬なら、すでに死に絶えただろう。家畜も悲惨なことになった。何万の家族の暮らしを理不尽に分解させている原発。今のいまもまだ原発こそという意見がある。この肝心なところを国民的議論にしなければだめだ。今回の失敗を、克服できる失敗と考えるのか。原発というものの必然なのか。世界全体に原発が広がって大丈夫な訳が無いと私には思えるのだが。