原発避難のダイ君

   

僕はダイ君という。福島の原発のそばから、やっと救出されてきた犬である。雄の12歳になったげんきな、あの時までは元気だった犬だ。なにしろ家族が突然いなくなり、1カ月である。おいてけぼりである。悲しかった。寂しさですっかり身体を壊してしまった。1ヶ月間何とか水だけはあったでしのいだが、食べ物はなんにもない。いま生きているのが不思議なくらいである。大きな地震があり、お母さんとお兄さんと丁度、家の中に居た時だった。突然揺れ出したかと思ったら、テレビやら、当たりのものが飛びあがって、自由に飛んできた。すんでの所でテレビが来る。身をかわしてみんなでうずくまって震えていた。やっと収まったが、何とか家は潰れていなかった。やっとこさ家から這って出たが、余震が来るぞというので、家には入れない。何が起きたか、皆目分からない。その日はおろおろしているうちに暮れてしまった。家に入るのも怖いので、みんなで車の中で寝た。ダイ君としてはみんなと一緒で、少し安心した。

翌朝に成ると、ともかく公民館に集まってくれということだ。ダイ君は壊れかけた家にも入れないし、その時は外に繋がれていた。公民館ではみんな集まって来て。ああ無事でよかったと、お互いほっとしていると。突然、避難するからバスに乗ってくれということになってしまった。ともかく、ここでは暮らせないから、安全なところに、行こうということらしい。しかし、家にはダイ君がいる。車に乗せてもらって一緒に行こうというが。ダイ君には何が何やらわからない。ただでさえ目が回るようなのに、この上どこか分からない所に連れて行かれるのだけは厭だ。大いに暴れてやった。後に思えばあれがいけなかった。急げ急げと大騒ぎである。ダイ君はすぐ待ってろ、迎えに来るからと、みんなが言うので。その時は車に乗せてどこかに捨てられてしまうのかと思ったので、少し安心した。

ところがこれが間違いだった。一晩が経ち、二晩が経ち。寂しかった。だあれも来ない。何があったのかもわからない。お腹は減ってくるし、食いしん坊のダイ君としては、我慢ならなかった。あたりにある食べられそうなものは何でも食べた。草も食べた。虫も食べた。木もかじった。でもその頃は誰か来てくれるとまだ思っていた。でも来ない。お兄さんも、お母さんもダイ君のことが気が気ではないが迎えに行けない。何と原発が爆発してしまったのだ。もう原発だから、近づくこともできなくなってしまった。ダイ君としては死を覚悟した。すっかり諦めて、静かに寝ていた。頭も朦朧としてきたし。首を時おりもたげると、空だけは青かった。これも仕方がないかと思っていた。その時、突然、ダイ君、ダイ君と呼びかける声がする。うとうとと目を覚ますが。後はわからない。車に乗って、ヘトヘトになって避難所にまで連れて行かれる。少し鶏肉を食べたがどうも喉を通らない。お兄さんと、お母さんに会えた。それだけでも良かった。

そこには居てはいけないというので、長いことまた車に乗せられた。それからもう食べ物は喉に通らないから、点滴をしてもらっている。そうして小田原の舟原というところまでたどり着いた。大きな犬が居てだいぶ吠えられたが、何とか静かに寝ている。もう立ち上がることもできなくなってしまったが。トイレの時だけは、何としても外まで行く。昨日はもう会えないかと思っていたお兄さんとお母さんが、突然来てくれた。避難所から来るのも大変だっただろう。僕がもう立てないので、きっとがっかりしただろう。それでも少しだけ餌を食べさしてもらった。食べたくはないのだけど、我慢して食べた。「又来るから、又来るから」と言って帰って行った。避難所では、犬は駄目なのだそうだ。それにしても悪いのは、原発だ。もう生まれ変わったとしても、二度と原発のそばでは暮らしたくない。少し、目がかすんで来たな。もう一度福島の青い空が見たかったなぁー。

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