不明高齢者
全国で所在不明が明らかとなった100歳以上の高齢者は14日までの共同通信のまとめで281人に達した。 不明者は住民票の削除が行われる。「職権消除」と呼ばれ、高齢者に限らず、調査で居住実態がないことを確認すれば実施できる。総務省によると、2009年度に自治体が行った職権消除は計5万9419件。都道府県別では、東京都の1万7342件が最多だった。90歳以上で約130万人、75歳以上だと国民の1割を超えて約1370万人になる。今後どれだけ職権消除がされ、平気寿命にまで影響することやら。こういうことは、実は生命保険会社などには、計算済みではなかったか。
だんだん実態が見えてきた。様々な事例はあるが、その多くは蒸発した人のようだ。蒸発いやな言葉を思い出した。この言葉もつかわれなくなったが、ドロップアウトした人。あるいは神隠し。西行や山頭火のように、漂泊の旅に出たのかもしれない。それぞれの理由で、行方知れずにならざる得なかった人たちもいる。もちろん家族による意図的な死亡隠しもある。人類の0,3%は思いもよらない人たちであると、統計的にそうあるそうだ。1億3千万人の内39万人は極端に意外性のある人たちである。そうした人の処理を役所がこれほど放置していたとは、たしかに思わなかったが。一方で、6万人も毎年処理しているということも、すごい数字である。路上生活の人が現住所を持てないで、苦労をしている。もし、昔の住んでいたであろうところで、何らかの形で現住所を残していてくれれば、何かの時に役に立つ気もする。関西で、不明高齢者が多い原因は、こういう問題で関西では対応が違うということを聞いているので、その影響もあるかもしれない。その意味では、処理がきちっとしている方が、手に負えない感じもする。
きれいごと建前社会だから、一応何でもきちっとしている方がいいことになっている。健全な当たり前の住民が社会を作っているということになっている。自分と違うをとても嫌う風潮が強まっている。社会に余裕が無くなれば、出来る限りの右にならえである。0,3%は困ると言われてしまう社会。私はどちらかと言えば、0,3と見られているかもしれない。いや、見られても構わないという覚悟で暮らしている。実は、人間はすべからくどこかでは、0,3の中に居ると見ている。ただ、一応は普通にしていて、当たり障りなくしている。私にそうに違いない。弱い者いじめ的に、不明高齢者の処理から、排除の論理が出てくることを恐れる。グレーゾーンはどんな社会でも必要な部分だ。
管理された社会がいい社会ではない。管理など必要としない社会が理想とする社会だ。行政が必要なのは、あくまで管理された便利さである。警察がなくても社会に問題が起きないなら一番いい。江戸時代は人口比から言えば、軍隊を含めて、武士数を公務員数とすればが7%から10%ぐらいだろうというのが、一つの見方。犯罪を犯しても、懲役刑は無い。所払が基本。不明高齢者では行政の態度が問題発覚初期と、現在では大きく違う。最初は高齢者不明など当たり前で、把握できるような体制でない、いったい何を騒いでいるのだ。こういう姿勢が見えた。ところが、時間がたつにつれて、謝罪に変わった。それは自らが、行政の信条である、正確、公平がどの分野においても嘘だったことを認めることに気付いたから、とみているが。
いい加減でも済む社会の方がいい。いい加減でも暮らしてゆける、のうてんき社会の方がいい。この機会に、おおよそでいいということも評価しよう。分析して、位置づけをして、比較をする。こういう暮らし方を止めた方がいい。どうやればいい加減のままで済むのかを模索した方がいい。どうも世間の風潮や報道の姿勢では、この機会に国民総背番号が現れそうだ。その方が合理的で、便利で正確だ、ということになる。それはそうだろう。しかし、人間が暮らすというのは、インチキで、あいまいで、どうにもならないも含まれている。一期一会で暮らしていく方が気楽でいいということは、忘れたくない。昔どうだったから、どういう経歴だから、いま何をしているか。そう云うものを抜きにお互い暮らせるほうが、いいと思うのだが。