小沢一郎強制捜査
民主党幹事長の小沢一郎氏の周辺の強制捜査が行われた。資金管理団体「陸山会」が2004年に取得した土地の購入の資金4億円が政治資金収支報告書に記載されていない。いったいどこの誰が出したのか。もしや、ゼネコンからの賄賂が充当されたのではないか。このことについて、小沢氏は一切説明をしない。その理由は、現在検察が捜査中である。と言う事らしいが、おかしな話である。普通の人なら、自分に後ろめたい所がないなら、率先して説明したくなるものである。疑われているのに、言い訳もしない。疑念が増してゆく。厚顔無恥にも、国民生活第一にやって行きたいなど、声明を出している。東京地検が何故強制捜査に入ったかといえば、任意の事情聴取を拒否したからである。先ずこんな事ができるというのが、不自然である。悪しき前例である。任意聴取を求められて、出頭せず。こう言う事を与党の幹事長が行うことが、国民の生活第一とは到底思えない。
小沢氏は衆議院議員としての説明責任を、国民に対しても、検察に対しても果していない。前回の記載の問題での秘書の逮捕は、不当な検察の動きだとみえた。西松建設の問題は裁判を通して明らかになるのだろうが、何故自民党の議員については不問だったのか。その流れと、今回の検察の動きはどういう関連があるのだろう。何故、前回あのように中途半端に終わりながら、再度動き出している。それなら、前回充分に調査して一貫した動きで進めるべきだった。検察自体の能力不足を感じざる得ない。汚名挽回と言う事なのか。西松事件の中で、鹿島建設の賄賂が浮かび上がってきたと言う事なのか。政権党でもない小沢氏が何故、東北地方の公共事業の受注に対して、与党議員を越えて、差し置いて、影響力があったのか。小沢氏か、検察か、どちらがおかしい訳だ。このままでは済まされないことだ。
今、日本の政治は大きく変わろうとしている。にもかかわらず、次々にくだらない事で、つまずいている。金権体質がいかにこの国をだめにしているか。金がなければ何も出来ない。こう言うどうしようもない現実が、次々に明らかになる。親から毎月、1500万円も贈与を受けていて、それを気付くことすらなかったと、弁解する人間が総理大臣である。友愛精神を掲げる総理大臣である。与党の幹事長は公共事業がらみでゼネコンと、暗い繋がりがある。翻って、自民党はどうかと見れば、同根の体質としか思えない。官僚独善を排除したら、今度は腹黒い政治家が暗脈する世界になりかねない。金権主義は日本人に充満している。国民の多くが、そうした、経済優先の思想の中で生きているので、政治もそうした動きになる。正月に小沢詣でをしていた、与党議員は小沢幹事長をどう見ているのだろうか。
それでは、期待できる政党はあるのか。共産党だけが唯一その意味では期待できる。政党助成金を拒絶している。政党助成金は間違った税金の使い方である。こんなやり方をしなければ、成り立たないのが、日本の政治風土である。国民の民意でありレベルである。政治にはお金がかかるといいながら、既成政党だけが優位に立てる制度。新しい政党の登場を抑制する制度。
我が身を省みて、小沢的というか、角栄的体質が充分あるといえる。無一物でありたいとは思いながらも、物に囲まれて生きている。無一物である、安心とは程遠いい暮らしを日々している。物があることで安心する実際。それが、物欲になり、所有になる。せめて、私欲による行動が、どこかのだれかの犠牲で成り立つことにならないようでありたい。