鉄道事故多発
このところ1週間東京まで電車で通っている。1週間通ってみて、通勤というのはこれは大変なことで、もし小田原の舟原から上野までだと2時間はかかる。これが毎日と言う事だと、容易なことではないと実感する。小田原駅までは早朝車で送ってもらうので、たいして時間がかからないが、電車の時間が長い、遅れたので一度は新幹線に乗ってしまった。これなら早いが1680円余分にかかる。乗車賃は回数券にする。11枚で14500円。費用も大変。こうしたことが全国で行われているのだと、ちょっと浮世離れした感想を持った。自営業というのはおおむねこの点は良い。通勤と言う事はない。昔は通勤に地獄と言う言葉まで付いたことがあた。その後、50年そう言う事は解消されたとも思えない。幸い、学校に通う頃から、そのごの通勤まで、いつも歩いてゆけるという、ありがたいことであった。
良かったといえば本が読める。良い本が、もう2冊読めた。大いに勉強になる。毎日3時間ぐらい本を読める暮らし。これは良い。電車通いを止めても取り入れたいが、家にいればなかなか時間が取れないのは、結局もっとおもしろいやることがあると言う事になるのか。電車に乗っていて一番ビックリしたのは、電車の事故が常にあること。東京の周辺では必ず人身事故、信号トラブル、不通、遅れ、が放送されている。以前なかった景色だ。原因はIT導入ではないか、と邪推するが違うか。以前ある会合が東急電鉄の田園都市線の沿線であった。所がなにやら故障でみんなが遅れた。そのときの参加者に東急の役員の方も居られた。そして、最近急増している。電車トラブルのことを、涙ぐんで謝罪しながら述べた。鉄道マンにとって、電車の遅延はこれほど重いことだったのか。とビックリした。要するに職員の質が低下したのが主たる原因だというのだ。団塊退職時代。どのように技術を継承するか。
もう一つがIT故障。これは銀行などのシステムの入れ替えで、ソフトの不備がある日露呈してくるという奴。もう電車も全てが、ITという私にはその詳細は見えない、ITという用語の使い方も正しいのかどうかすら、いい加減なのだが、ともかくコンピューター制御が、おかしくなる。最近続いたのが、飛行機の搭乗手続きが出来なくる事故で、飛行機の方は何の問題もないのだが、丸1日棒に振るという事故があった。こう言う時代だといえばそうなのだが、電車は問題ないのだが、信号を制御している何かのソフトが、狂えば、かなりの広範囲を止めざる得ない。しかも修理するのか、システムの点検にとても時間がかかる。通勤時などだと、何十万人に影響が出た。などと頻繁に言っているから、日本もこういうことがきちんとできない国に成ったのだ。以前の日本の鉄道の正確さの方が、特殊だったんだと思わざる得ない。
実は人身事故による遅れ。これが一番多い。それ以上は言わないのでわからないが、飛び込み自殺によると想像する。迷惑というより、思わず祈る。成仏してもらいたいと祈る。大変な時代に入ったと言う事を感じる。ダメでもいいじゃん。ダメだからおもしろい。ダメでもともと。明日の百姓。一風吹けば、全てを失う暮らしを日本人は、長年してきた。大火が繰り返しあって、宵越しの銭など、持っていたところでどうにもならない、裸一貫のような気分もあった。もう少し物に執着というものがない時代があった。大水が出て、全ての田んぼが流されても、又営々と繰り返せる再生の力が、庶民の暮らし感覚で存在した。もう一度そこに戻れば何も畏れることはない。