比内鶏の偽装と赤福
比内鶏の偽装事件が起きた。と言うか、以前も地鶏肉の事で書いたことがあるが。日本鶏にかかわってきたものとしては、馬鹿げた事件だ。秋田県の特産で、「日本三大地鶏」の一つとして知られる比内地鶏で、加工商品として出荷した薫製の肉や卵に、比内地鶏でない鶏を使用した疑いがあるとして、秋田県は20日、同県大館市の食肉加工会社「比内鶏」(藤原誠一社長)を景品表示法などに触れるとして立ち入り調査した。同社は偽装を認めているという。(朝日新聞)以前書いたことだが、この機会にもう一度整理したい。地鶏というものは日本農林規格で既定されている。簡単に言うと、片親が在来種なら、良いとなっている。在来種とは明治時代までに日本で導入成立定着したものとなっている。横班プリマスロック。コーチン。ロードアイランドレッドも在来種だ。つまりこれらが片親の交配は全て、地鶏肉となる。おかしな事だ。
本来地鶏といえば、日本古来の鶏のように感じる。あるいは、農家の庭先に放し飼いされた鶏のように感じる。その錯覚を利用して、様々な地鶏が登場した。ほぼでたらめと言ってよい。プリマスと、ロードの交配を地鶏というのだから、何だっていいと言える。ケイジ飼いも入れろと業者は圧力をかけている。本来、天然記念物の比内鶏は雄3000グラム雌2300グラム。特徴ある三枚冠。笹毛は黒状線在り。頭は体系に比して小さく、足は黄脚でほそい。とスタンダードでは成っている。しかし、そんな鶏は随分捜したが、見つからなかった。それで飼育をやめた。何処の畜産試験場でも、5キロはあるような鶏を飼っているのが現状だ。肉が美味と言うのが特徴で、きりたんぽにすると、胡麻粒状の油が浮くとされる。そんなものも見た事がない。
鶏肉には鍋用のものと、焼き様のものがある。しかし、鶏肉を食べて判別が付く人がいるだろうか。私は不可能と考えている。散々多種類食べての結論だ。鶏の飼い方で鶏肉の味は決まる。特に放し飼いと餌。と言っても、養殖うなぎの方がうまいと言う、柔らか信仰の現代の消費者からすれば、私のところの笹鶏は鶏肉ではない。ともかく比内鶏の名前が一人歩きしているにすぎない。そうした、地鶏信仰に便乗して、全国の畜産試験場が、様々悪乗りしている。中には土佐ジローや、東京シャモのような立派な作出もある。消費者の浅はかさに付け込むように、地鶏肉の名をつけたことが間違いの始まりだ。消費者に押されて作った農林規格がより問題を複雑化した。
赤福だ。饅頭屋さんが、あんこの再利用をするのは当たり前の事だ。ものを大切にする食べ方で、江戸時代以来の素晴しい文化だ。それを悪用した、赤福は確かに悪い。しかしケーキと違い、無駄なく再利用できる食文化がある。あった。今の法では違法なのだろう。家でやる分には構わない。変な添加物を加えるより、よほど素晴しい食文化のはずだった。消費者と生産者の距離が離れるに従って、法律と言うものが、登場する。すると、ずるがしこい奴がかいくぐる事になる。そして、金儲けの為に法を悪用する。本来、食は自己管理されるものだ。自分が食べるものは自分の目で確認するだけの努力が要る。トレサビりティーとかいって、生産者に任せているからおかしくなる。食を国に、つまり法にお任せきってしまうと。比内地鶏がまた現れることになる。