総合学習の後退

   

総合学習の時間配分が減らされそうだ。想像だが、ホッとしている教員も多いいのではないだろうか。7年間の教員生活で一番強く感じていたのは、具体的なものを通して、自分の思いを伝えてゆく方法だった。言葉で指導する。これは自分の気持ちが勝ってしまい、どうも教師の一人よがりになる気がしていた。中学生と少しの高校生に美術を教えたいたのだが、結局私が教えていたのは、「わたし」だったとしか言いようがない。伝えなければならないい、例えば知識としての色彩の原理、構成がある。3原色、補色、色彩環、色彩の大きな枠組みを教える。しかし、その背景となる、人間の感じる力。感性と全てが繋がっていないと意味がない。寒色、暖色、などと言葉で教えても、一人ひとりの感性とのつながりの方が意味がある。漠然と感じている事を、知識として整理してゆくことで、更にその奥にある深く、重要な、人間としての根本を感じる力を、掘り下げて行く感性を養う。これを言葉でなく、感じて貰わなければならない。

教育は知識を伝えるだけでも駄目。抽象論でも駄目。日々の暮らしと繋がる形で、知識が増えてゆかなくてはならない。その意味で、総合学習は素晴しいアイデアではあるが、これを担える教師がいるのだろうかと、思っていた。教師の人間に依存する。例えば、総合学習で「田んぼ」を取り上げる学校もある。田んぼをの意味を、暮らしと食の関係を充分に、体感していないとならないだろう。少なくとも、何年か田んぼをやってみたことのない人に、とても田んぼで伝えるべき内容は、実感できないだろう。知識偏重になりがちな、数学ですら、本来伝えるべきはその背景にある思想だ。

総務、文部科学、農林水産の3省は8月31日、小学生に農家などで1週間程度の宿泊体験をしてもらう「子ども農山漁村交流プロジェクト」を2008年度からスタートする、と発表した。(共同)これは嬉しいニュースだ。素晴しい可能性がある。12年度までに対象を全国約2万3000の小学校すべてに順次拡大していく計画。農業や漁業を営む家庭などに分宿しながら、家の仕事を手伝ったり、地域の行事に参加したりする。都会の子どもが地方の集落を訪れるほか、山村の子どもが海辺の漁村の生活を体験するケースなどが想定されている。思い切って地域の人に子ども達をゆだねてもらいたい。心配や、不安は山済みだろうが、問題があることが大切なので、踏み込んで展開してもらいたい。

小学校3年生以上で週3時間程度実施している「総合的な学習の時間」を週1時間程度減らし、国語、算数、理科、社会などの各教科の授業時間数を増加、小学校高学年で週1時間程度英語の授業を実施することを柱とする。と言うのが中教審の答申。今でも申し訳ないが中途半端な、総合学習が週2時間になって、どう構成できるのだろう。総合学習は素晴しい考え方だ。担う教師の資質ゆだねられる。当初地域の人材の掘り起こしと言う事が言われたが、実際にはどの程度行われたのだろう。地域でもそんな話が出て、田んぼの事で教師を交えて話したことはあったが、教師の負担感とか、取り組みの把握が、全く我々とは違い、残念ながら、一緒に何かやることは無理だった。地域の人の意識と、教員の考え方の調整が、大切ではないだろうか。

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