養鶏場の見学
火曜日の午後は、見学の日にしている。色々の方が、来てくれる。今週はブラジル人の男性と、日本人の女性の方が、二人できてくれた。鴨川の方で、農的な暮らしをしているそうだ。とても暖かい印象の方達で、気持ちの良い一日になった。作っている、蜂蜜をお土産にくれた。20箱ミツバチを飼っているそうだ。ミツバチはやって見たいと思いながら、ついに手がけられない一つだ。地元久野の養蜂家宮川さんに止められたことが一番だが、躊躇している間に、10年以上が経ってしまった。やはりやりたいと思ったときに、すぐに始めないと何もできないうちに終わってしまう。見学に見えたと行っても、養鶏を見てもらうと言う事もあるが、むしろ、話を色々聞かせてもらうことが多いい。これが大抵は実に面白いんだ。今の時代に自然養鶏に関心を持つ人というのは、自分の生き方を持っている。
ブラジルの奥地で暮す小さな家族に可能な養鶏の形を、捜したいと言われる。これは面白いと思って、あれこれ方法を話した。生活から出るごみも全く違う。何をエサにするか。色々な木の実や草の実があるらしい。それは、現地で捜せば、きっと面白いことになるに違いない。いずれにしても、試行錯誤してみることだろう。アマゾンの奥の小さな集落の、輪のように広がる集落形態の話があった。中央に広場があり、それを取り囲むように、建物がある。その周りに、畑がある。そして、その更に周辺には果樹のようなものが植えられる。そして、ジャアングルに成る。家畜を飼うと言う習慣がない。そこに鶏が加わるとどうなるか。小さな集落が崩壊し、街へ出るそうだ。そしてスラムに住むようになる。世界共通の暮らしの崩壊現象。アマゾンへ行って試してみたいぐらいだが。蜂を飼う事も出来ないのだから、無理なことだ。
日本人の女性は金沢出身の方だと言うので、先週は同窓会で金沢に行ったと言う話になったら、何と大学の後輩の方だった。更に親近感を深めた。私の本を購入したのが、宇都宮書店と言う金沢の本屋さんだったそうだ。私もよく行った本屋さんだ。びっしりとポルトガル語が書き込まれていて、こんなに苦労して読んでくださったと思うと、嬉しくなる。言葉をこれで覚えたと言われる。普通に日本語を話される。すごい事だ。説明しがたいブラジルの話になると、2人でポルトガル語で話される。ポルトガル語を話される日本人と言うのもすごい。「百+1」農場と言うから、この+1が奥が深そうだ。ブラジルの話を聞いていても、文化人類学をされているのかと思った。
見学を続けているお陰で、素晴しい出会いが、今までも何度もあった。何百人との出会いをいただけた。自然養鶏の嘘偽りのない姿を見てもらいたい。ささやかなものではあるが、こうしたやり方で、養鶏をやることが可能なのだ。と言う実際を見てもらいたい。業として始めて20年になるが、それでも今だ、不可能だと言う人が居る。自分の目で見ていても、その考えを捨てようとしない。そう、有機農業を業として行う事も不可能だと決め付ける人が、相変わらず多数派だ。特殊解だと言うのだ。そうじゃなくて、むしろ自分の暮らしとしては、ずっと楽だから、自然養鶏をやっているんです。有機農業をやっているんです、と言う事を知ってもらいたい。それには、有機農業の技を、誰にでも可能などこでも応用が効く、再現可能「技術」にする事が大切だと思う。