絵が終わらない理由

絵を描いていて、いままでよく分からなかったことはどこでえは終わるのかということだった。もっと描くことがあるのか、もうこれ以上やれば行き過ぎて肝心のものが消えて行くのか。いつもここで迷いが生じていた。絵は結論があって描き出すものではないからなのだろう。
描き出すときには絵の糸口だけが見えていて、それをたどりながら描いている。良い絵を描きたいという気持ちがあったので、良い所まで進めて、そこで終わりたいという間違った考えがあった。そのために画面が良くなったところが絵の完成だと思っていたようなのだ。これは重大な間違いだった。
絵は出来上がるとかどうかというようなことより、やることがまだあればとことんやらなければならない。良いところで終わりにするような物ではないと言うことがやっと分かった。分かってみれば余りに当たり前の事で、当たり前にまで行くのに邪念が邪魔していただけだ。
どこまで行けば良いのかと言うことが問題になるわけだが、そのことがいくらか見えてきたのだ。絵の世界が明確に画面に出現したら、それが絵の終わりだ。絵は描いている内に、なんとなく絵自体の世界を出現させる。そこに自分の世界というものが重なる。それが自分の目指している絵と言うことになる。
良い絵という考えが、道を迷わせる間違った考えだった。絵の終わりは絵に世界が生まれたときだとやっと分かった。絵に世界が生まれるのは、何かがもたらしてくれるものなので、自分はただ描いているだけで、どうなるものでもない。そういうことが突然来ると言うことのようだ。
その絵の世界らしきものが、最近になってやっと見えてきた。これは自分にとって羅針盤が出来たような感じで、何とも嬉しいことだ。これは日曜展示を続けてきた御陰かも知れない。毎週個展を続けているようなもので、それなりの試練である。
今も絵の世界が云々など偉そうなことを書けば、お前の絵のどこにそんなたいそうなものがあるかという、正当で厳しい眼を意識しないわけにはいかない。絵を前にして絵のことを描くわけだから、自分としてはそのままのことを描く以外にない。
石垣に来て、コロナが流行して、直接絵の仲間と会えなくなって自分の絵の確認の場を失った。そこ欠落したところを日曜展示を続けてきたことが、何かをもたらしてくれた。居直れたというのかも知れないし、自分そのままで行くほかないという、まともな絵の描き方に、入れたような気がする。
その絵の描き方のことであるが、ともかく絵を描き続けるということにした。と言うか、毎日絵が描きたくなっている。アトリエカーの御陰もあるが、雨が降ろうが台風が来ようが、お弁当を持って絵を描きに行く。有り難いことに、のぼたん農園があるので、絵を描きに行くことが楽しくて仕方がない。
今だって稲の様子を見に行きたいぐらいだ。絵を描いていて、田んぼを一回りする。水牛を見に行く。自分が作っているのぼたん農園という、日本一美しく、希望に満ちた場所に居るのだ。ここでただ絵を描くというしあわせ。ここに至る事ができたのは、巡り合わせの幸運である。
昨日も一日絵を描いていただけである。老人は外出禁止だが、のぼたん農園に行って、人に会うこともまず無いし、時々田んぼを一回りして、水牛の様子を見る。後はただ絵を描いている。このある意味単調な繰返しが制作によいところがある。
絵と自分という関係以外、余分な物が随分と減った。今目の前にある絵は自分にとってどういう物なのか。自分の世界観を表しているのかどうか。そういう絵との関係だけになる。絵と自分が随分近くなったようだ。継続である。やはり、10年よりは20年。20年よりは50年。絵のことがやっと身体に染みついてきた。
その私の世界は案外思い出の世界のようだ。子供の頃の思い出が絵の世界に1番反映している。ちょっと悲しい、ちょっと優しい、ちょっと暖かい世界。家族の記憶や友達のこと。子供の頃の遊んだ世界が思い出され絵に現われる。ある意味谷内六郎的である。
谷内氏に怒られそうだが、あの感じを具体的な物や物語ではなく。花を描いても、海を描いても、富士山を描いても、同じにその思い出の世界が匂ってくるような感じだ。そこまで絵が来たときに絵は終わりとなる。絵の終わり方がなんとなく分かった。絵面が欠点がなくなったとしても、自分の世界の匂いが出現しなければ絵は出来ていない。
絵が仕上げられて、完成と言うこととはかけ離れている。そこまで進まないことの方が多い。それでその絵は途中で止める。そして眺めていて、その続きが見えたときに描き継ぐことにした。見えなければ、そのまま置かれていて、何年も経って描き継ぐこともある。
行くべき先が見えてきたので、絵は描きやすくなったかも知れない。絵をでっち上げる必要がなくなった。絵作りという感覚がなくなった。仕上げるという感覚もなくなった。どうすれば絵の世界が現われるかだけを追っている。思いついたことはすべて行う。それで偶然のように、世界がはっきりすることがある。
世界が明瞭になった時が絵が生まれたときのような気がする。まだ断言が出来るわけではないが。自分が描いたとは思えないのだが、どういう課程でそれを描いたのかもいつも良く分からない。あれこれ試行錯誤の末、なんとなくこっちなのかという感じがつかめて、その意図をたぐり寄せていると、だんだんやることが見えてくる。そして偶発的なことで絵の世界がはっきりする。
この絵の世界を創作したという感覚は喜びである。かなりの喜びである。ささやかなことであるが、絵を描いてきて良かったとつくづくと思う。何時の日か自分の世界を示せるかも知れない。今の状況はその入口のようだ。またとない経験である。私が生きて、煮詰めてきた世界を表わせることが出来るとすれば、絵を描いてきた本望である。
もう一息である。まだきっかけが見えてきたくらいで、まだまだ先があることが分かる。私の記憶の中の世界が、より純化された深い物にならなければならない。申し訳ないが、谷内六郎で終わるわけには行かないのだ。私が自給生活に至ったことが絵にならなければならない。
私という人間が生きてきた記憶の蓄積が絵の世界に繋がらなければならない。まだ昔の記憶ぐらいの範囲だ。これが今生きている私の記憶になってもらいたい。今を見ている眼が、目の前の風景をいわば記憶としてみることが出来るかなのだろう。絵を自分の思想としてみるということかも知れない。
まだまだだとは思うが、方角は徐々に定まってきた。この方角にただ描いて行くだけだ。10年、20年の年月がきっとそういう世界観を絵にしてくれるのだと信じている。先は長いが、日々の一枚の積み重ねである。正しい方角に進めば、きっと到達できるだろう。