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笹村 出-自給農業の記録-

中国習近平政権と軍の粛正

   

 

中国で軍の上層部が相次いで粛正されている。毛沢東時代に起きた、林彪事件後の関係者徹底排除が行われたことを思い出した。「林彪事件」は1971年9月、毛沢東暗殺のクーデター計画に失敗した林彪が空路ソ連(当時)への逃亡を図り、モンゴル領内で墜落死したとされる事件だ。

林彪は個人崇拝で神格化された毛沢東の「親密な戦友」と称賛され、後継者と目されていた。それは中国共産党が勝利するために、林彪は毛沢東から最も信頼され、重視されていた部下であった。共産党政権樹立後も、絶対無二の地位を独占し、「建国後も国防計画の立案をリードしていったのは林彪だ」とされている。

ただ林彪の人脈は軍内中心で、政治的な影響力は限られていた。毛沢東、周恩来らの革命第1世代に続く、第2世代の「ポスト毛」候補としての評価は(1)鄧小平(総書記)(2)彭真(北京市長)に続く3位だった。その林彪が政治の表舞台で活躍するのは文化大革命の時だ。

毛沢東は一次、その権力を奪われかかった時期がある。劉少奇・国家主席から政治権力を奪い返せたのは国防相の林彪の協力が大きい。通称「文革派」と「実権派」の全面対決となった66年8月の「第8期11中全大会」でも、毛沢東の度重なる説得にもかかわらず、林彪は療養先の大連を動こうとしなかった。

林彪は毛沢東の後継者として公式に認定された。失脚した劉少奇に代わっての後継者に擬せられた時に「気分が重い。もっと適した同志にいつでも引き継ぐ用意はある」と野心を見せなかった。林彪事件の真相は明らかではないが、「毛沢東の権力への執着と疑心が原因」晩年の毛沢東はいろいろおかしな行動をとった。

文化大革命の意味をどう考えれば良いのか、その間に起きた林彪の毛沢東暗殺事件は一帯どう言う意味だったのか。未だにその真相は見えてこないのだが、中国の共産革命の経過で起きた事件として、重要な意味があるのだろう。独裁者とその後継者の問題である。習近平周辺に類似の事件があると考えるべきだろう。

第3期に入った習近平独裁政権は12年政権維持である。自ら指名した将官のおよそ5分の1を失脚させている。こうした粛清により、中央軍事委メンバーは3期目の習政権発足時の7人から4人に減り、毛沢東時代以降で最も少なくなった。そのことが林彪事件と類似のことで、軍に対する習近平氏の掌握が出来なくなっていると考えられるのかもしれない。

軍人の失脚の表向きの理由は、汚職撲滅とされているが、汚職は中国の伝統文化のようなもので、毛沢東さえも賄賂体質だけは触れることすら出来ないでいた。中国人の本質と言っても良いほど根強いものである。それを習近平氏は汚職撲滅を掲げて、権力強化に進んだ。

 中国の習近平・国家主席が12年前に「ハエ」と「トラ」を捕まえると約束し、汚職撲滅運動を開始して以来、600万人の公務員が処分を受けたとされる。驚くべき数の汚職である。しかし今現在も、中国の習氏は汚職が依然として増加し、共産党にとって「最大の脅威」になっている警告した。

ネズミをとるならば、白黒どちらでも良い猫とする考えが中国にはあった。しかし、中国で軍の上層部が相次いで粛正されている。毛沢東時代に起きた、林彪事件後の関係者徹底排除が行われたことと似ている。「林彪事件」は1971年9月、毛沢東暗殺のクーデター計画に失敗した林彪が空路ソ連(当時)への逃亡を図り、モンゴル領内で墜落死したとされる事件だ。

林彪は個人崇拝で神格化された毛沢東の「親密な戦友」と称賛された。それは中国共産党が勝利するために、林彪は毛沢東から最も信頼され、重視されていた部下であった。共産党政権樹立後も、林彪は絶対無二の地位を確立していると見られていた。「建国後も国防計画の立案をリードしていったのは林彪だ」とされている。

ただ林彪の人脈は軍内部中心で、政治的な影響力は限られていた。毛沢東、周恩来らの革命第1世代に続く、第2世代の「ポスト毛」候補としての評価は(1)鄧小平(総書記)(2)彭真(北京市長)に続く3位だった。その林彪が政治の表舞台で活躍するのは文化大革命の時だ。

毛沢東は一時、その権力を奪われかかった時期がある。劉少奇・国家主席から政治権力を奪い返せたのは国防相の林彪の協力が大きい。通称「文革派」と「実権派」の全面対決となった66年8月の「第8期11中全大会」でも、毛沢東の度重なる説得にもかかわらず、林彪は療養先の大連を動こうとしなかった。

林彪は毛沢東の後継者として公式に認定された。失脚した劉少奇に代わっての後継者に擬せられた時に「気分が重い。もっと適した同志にいつでも引き継ぐ用意はある」と野心を見せなかった。林彪事件の真相は明らかではないが、「高齢化した毛沢東の権力への執着と疑心が原因」と見られている。

文化大革命の意味をどう考えれば良いのか、その間に起きた林彪の毛沢東暗殺事件は一帯どう言う意味だったのか。未だにその真相は見えてこないのだが、中国の共産革命の経過で起きた事件として、重要な意味があるのだろう。独裁者とその後継者の問題である。

第3期に入った習近平独裁政権は、自ら指名した将官のおよそ5分の1を失脚させている。こうした粛清により、中央軍事委メンバーは3期目の習政権発足時の7人から4人に減り、毛沢東時代以降で最も少なくなった。そのことが林彪事件と類似の、軍の習近平氏の掌握が出来なくなっていると考えられるのかもしれない。

軍人の失脚の表向きの理由は、汚職撲滅とされているが、汚職は中国の伝統のようなもので、毛沢東も賄賂体質だけは触れることすら出来ない、中国人の本質と言っても良いほど根強いものである。それを一掃するというのは、やはり建前であり権力闘争が背景にあると考えるべきなのだろう。

 中国の習近平・国家主席が12年前に「ハエ」と「トラ」を捕まえると約束し、汚職撲滅運動を開始して以来、600万人の公務員が処分を受けた。しかし先月、中国の習氏は汚職が依然として増加し、共産党にとって「最大の脅威」になっている警告した。

ネズミをとれば白黒どちらでも良い猫とする、鄧小平の商業主義で経済成長した中国の高度成長。それは汚職体質であっても、経済成長をさせればかまわないと言うことを意味した。ところが、その民族的伝統とも言えるものを、変えようとしているのが、習近平氏ではないか。

中国を国際基準の国家にしたいという野望があるのではないだろうか。環境問題もそうだし、人間の倫理についても、「共同富裕」を掲げて、毛沢東が目指した世界観を実現しようというのではないか。ところが、この理想主義が経済の混乱をもたらしている。コロナ対応の都市封鎖のような、徹底したことを行う所がある。

これが習氏の政治的強さの証しなのか、それとも弱体化してきている表れなのかということの判断が必要である。独裁が強くなればなるほど、反革命を目指すものは登場する。あるいは独裁権力者の猜疑心が強くなる。習政権が3期目に入ってから、同氏の下で昇進した将校79人中14人が動静不明ないし調査対象であることが分かっている。

習氏は後継問題についても、後継者を育てることをしない。最後の瞬間まで味方やライバルに分からないままに、つまり、毛沢東の失敗を繰り返さないように、絶対権力を確立しようとしているかのようだ。その現れが、軍の粛正と見て良いのではないか。

汚職撲滅を理由に、後継者の登場をさせない。自らが登用して軍幹部にした人たちが、粛正される理由はそこにあるのではないだろうか。軍を掌握できないのではなく、軍の中に自分を越えた権力が生まれないように抑えている。まだ習近平独裁は継続すると見なければならない。それくらい習近平は用心深く、また有能なのだろう。

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