水彩画作法

   

 絵の色がおかしい写真になっている。どぎつく出ている。
 絵を描くと言うことはきれい事ではない。絵を描くと言うことは真実を描くと言うことになる。ものの実相を描くと言うことだ。表面のその奥に隠されている物まで描くと言うことだ。表面にある美しさをなぞることは絵を制作すると言うこととはまるで違う。

 表面をだけを見てすましていれば、きれい事ですむかもしれない。しかし、そんな表面的な物にこだわっていても、一向にその奥の物は見えてこない。きれい事の絵面ほど寂しいものはない。奥にある物を見るために、絵を描くという制作が始まる。
 
 絵を描くと言うことは自分の見方に置き換える作業になるというのが具体的なことだ。誰でもが見ているような、写真のような見え方ているのである。そこから自分の見方に置き換えて行く。その操作に制作というものになる。置き換えか多々通り一遍の人の作り上げた手法であれば、わたくしが描いた絵ということからはほど遠い。
 自分の絵を描くと言うことはどうやって自分の見方に置き換えるかである。それにはよく見て、自分が風景の何を見ているのかを探るほかない。そこからはそれぞれの見方、世界観になるのだろう。私は空間の動きを通して、自然のと人間の関わりのすさまじさのような物を見ているようだ。

 見えている物の形や色彩を、自分の中にある、絵の考え方で置き換えて行くと言うことになる。だから、青い海が赤く描かれたり、黒く描かれたりすることも、当然にある。青い海だから、その青をそのままに写し取ろうというのはひとつの考えではあるが、海の色にその作者の置き換えがなければ、絵を制作したとは言えない。それは青で海を描いたとしてもそれはそう置き換えたとしてみるのが絵だ。

 雲はこのように描くというそれぞれの方法がある。雲を写し取る方法ではあるのだが、雲をどう描くのかは描写を超えて表現にして行くことになる。巧みな描写をきそううようなことだけで終わるのであれば、手法はさして違いはない。雲という材料を使い、自分を表現するとなると、一枚の繪には一つの発明が必要になる。いつもの描法で、いつものように描くということでは絵の制作ではない。自分の方式に風景を当て込んでいるに過ぎない。

 その絵における雲を描く方法の発見がなければ絵にはならない。いつもの雲の描き方などという物はあり得ない。その絵一枚で、かつてない方法が見いだす事になる。そうでなければ、制作ではなく、自分の絵の模写をしているに過ぎない。巧みなやり方を身につけて、○○風などというのは恥ずかしいことだと思わなければならない。

 海を描くとしても同じである。その日の海を、その絵の海としてどう表すか、新たに見つけ出す以外にその日の海はない。当然そこでは海と空の関係も新たな発見をしなければ絵にはならない。

 だから絵は上手く絵を描く方法などどこにもない。前に上手くいったことを踏襲するというのは職人仕事であり、芸術家の制作ではない。芸術としての作品は常に踏み入ったことのない道への冒険である。

 一枚の絵を描くと言うことはひとつの発見をすると言うことだ。ひとつの海の描き方を見つけたと言うことだ。それは次の絵でも役立つというようなことは全くない。むしろ次の絵の障害になるから、新しい始めて描くつもりで次の絵を始める。

 次の絵でも海のその日の描き方を発見しなければ絵を制作すると言うことにはならない。その日の海との新しい出会いである。新たな気持ちで海と向かい合い、海の持つ様々な要素をどう自分が受け止めるかを新鮮に感じること。

 日本美術の職人仕事的な美術品とは決別しなければならない。日本では絵画は芸術と言うより、美術であり床の間芸術と言われる。床の間やふすまの絵として、住宅を彩る物なのだ。

 だから日本の絵画はどうしても職人的な物になる。上手に描けているとか、人間業とは思えないというような方向に行きがちである。しかし、私絵画ではあくまで自分が生きるための物であるから、見栄えなどどうでもいいことになる。飾り物を作っているのではない。

 自分という人間の根本に一歩でも踏み込むための制作である。芸術とは自分という人間と直面するための物である。私絵画としての芸術と言うことである。
 今回はできるだけ断定的に描いてみた。そんなにしっかりと考えているわけではないのだが、あえて言い切ってみようと。そう言う側面もあると言うことかと思う。絵も決めつけて描くときもある。迷いに迷ったままの時もある。
 ただ、だんだん踏み込んでいるという感じはしている。それ替えがよくなるというようなことではないのだが、以前よりは踏み込んで描いているというようなことだ。絵も言い切ろうとしているのかもしれない。
 それは以前はそうだった。ここ5年ぐらいだろう。それがどうも自分に染みついた、人から学んだ絵作り方法だけのような気がして、どう捨てるかばかり考えていた。しばらく苦労したが、今は又戻ったと言うことかもしれない。
 また来た道に戻るとしても一度ご破算にしたことは悪くはない。70歳でもう一度始めると言うことができている。ありがたいことだ。絵に新鮮に向かい合えている。やっと人目が気にならなくなってきた。
 しばらくこの調子で描ければいいと思う。その一枚の絵としての結論を出しながら描いて行こうと思う。


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