世界の人口は1日22万人増えているそうだ

   



 これは家の畑からの朝の様子だ。東雲というのだろう。美しかった。そばで家が建てられている。やはり平屋の鉄筋コンクリート造りである。随分しっかりとした土台の家だった。向かいのボクシングジムの息子さんの家だとか言うことだった。

 世界の人口は1日22万人増えている。地球はこのまま進めばあきらかな破綻が待っている。経済の国際競争に翻弄されている場合ではない。食糧危機。環境汚染。気候変動。感染症の蔓延。このまま行けば人類は人口増加で破局を迎える。人間の暮らしには大きな転換が必要である。その目安は世界人口の減少までである。

 日本は幸運にも人口減少が起きている。日本人が本能のどこかで人口増加を危機として感じているからだろう。こうして世界は人口減少する国と人口増加する国とに分かれてきた。多くの国が経済成長精一杯になったところで人口増加は終わるらしい。これも人間という動物の摂理なのかもしれない。

 そういう意味では人口が増えすぎると、人口が減少するような自動的な調整が働くようになっているのかもしれない。まるで神様がいるかのようだが、人間の作り出した文明の限界と言うことなのだろう。
  新型コロナウイルスの登場は世界の人口の調整になるのかもしれない。とんでもない予測であるが、このウイルスは老人のほうが死ぬ確率がかなり高い。何か文明論的に人類の限界が表われたような気になる。私もその一人として死ぬのかもしれないが、そのときには受け入れるほかない。次の世界に若い生き残ったたくましい人が新しい世界を作るのかもしれない。時にそういうふるいがかかるのか。

 中国は「一人っ子政策」という極端な人口抑制政策をとったが、そのときには抑えられなかった人口増加が、経済の急速に拡大した今になって人口の増加はいつの間にか終わった。人間の人口自然調整のような物を感じる。人口は政府がどうこうできるものでもない。

 日本の政治は人口減少を幸いなこととせず、人口増加を政策としている。これは野党も同じだ。人口が減少すれば、経済競争に負けるというのが唯一の考えのようだ。人口だけを国力と考えるのは愚かだ。小さな豊かな国などあり得ないと言うことになってしまうだろう。スイスは854万人しかいないが豊かな国だ。

 しかしそのスイスは最近は人口が増加して困難を抱えている。出生が増加したのではなく、移民人口の増加である。豊かな国であるために、有能な資格のある人口が黙っていても流入してくるという。だからどうやって人口増加を止めるかを考えている。

 日本の政治のやり方は数で競争しようというような、馬鹿馬鹿しい発想だ。日本の場合は日本の国土の許容範囲を超えた人口になっている。そこで国が衰え始めているから人口は減少しているのだ。老人人口の増加を労働人口で支えられないから、無理矢理移民を入れようというような、問題を増幅させるような矛盾だらけの発想をしている政府は、大きな間違いを犯している。

 老人人口の増加は確かに困ったことだが、老人が我慢する以外にない。若い人を犠牲にしてまで、老人を大事にする必要はない。私も老人の一人として言わせて貰う。姥捨て山はさすがに困るが、ある程度の犠牲は老人に払って貰うことだ。医療費など子供は無料にして、老人は少し高くするぐらいでいい。老人の延命治療とか、老人に何億円もの薬は禁止すべきだ。

 日本の国土から考えれば、日本の人口は6000万ぐらいまで減少した方がいい。永続性のある農業による、食糧自給が可能な人口がその国土と人口のバランスだろう。食糧生産技術が進んだとしても日本は江戸時代の倍くらいが健全な人口になる。

 世界は資本主義の競争が相手を潰すと言うこと以外に活路がないところまできている。アメリカの1国主義も、中国の国家資本主義も、弱小国を食い潰しながら拡大再生産をしようとしている。日本はそのおこぼれに預かろうとしがみつく状態である。資本主義は大国は何もやってもいいと言うことになっている。世界の格差はさらに広がって行く。だから落ちこぼれそうな日本はアメリかにしがみついて離そうとしない。

 そうした大国とは、日本は違う道を見つける必要がある。小さいが自給している国である。誇り高い文化国家である。アメリカや中国と張り合っても仕方がない国土の条件である。スイスは観光立国であるが、日本の景観の美しさはスイスに引けをとらない。石垣島の美しさは地球上最高のまたとないほどのものである。

 アメリカ人の大富豪が幸せという考えが間違えだ。トランプの人生が豊かなものとは到底思えない。一人一人が幸せに生きると言うことは決して経済だけではない。人間はそれぞれだからこそ面白いのだ。私は自給自足の暮らしをやれたことを満足をしている。それは厳しい暮らしだからこそ豊かだった。

 現代社会の行き詰まりは一見解決策などないかのように見える。強者の論理がむき出しになり、資本主義は階級格差をさらに広げて行くことだろう。一握りの大資本家が存在し、大多数の消費者が食い物として存在する。これは不幸な社会だ。

 人類が破綻を逃れるためには、一人一人が考えを変える以外にない。実際の解決方法はそれほど複雑な物ではない。一人一人が暮らしをかえれば、今すぐにでも解決可能である。人口のむやみな増加だって止まる。

 私にはトランプ式のアメリカンドリームはつまらない物だと考える。自分の手で自分の命を支えてみる冒険のほうがはるかに面白い。人にはそれぞれの生き方がある。日本という国には日本らしい方向があるはずだ。なにも大国方式を真似する必要はない。

 大きな転換は実は一人が暮らしをかえるところから始まる。それは豊かさの考え方を変えるところからだ。自分の手で自給する生活の豊かさは格別のものだ。安心立命である。最低限の暮らしのほうが、最大限の暮らしより豊かと言うことがある。

 人間の欲望は限りないものだ。しかし、知性でその欲望を抑えることができれば、安心して生きるということは、自分の手で生きると言うことにあることに気づく。トランプのように物に囲まれている安心は、まだまだ絶対の安心ではない。

 アメリカでは銃の所持が認められている。世界で一番豊かな国が一番物騒な国なのだ。自分の命を銃を所持して守らなければならないような社会は悪い社会である。互いを思いやり、攻撃などしない安心な社会が進むべき社会だ。

 次の世界を作る人達は、競争から降りることだ。他人と比べないことだ。内なる自分の広大な世界を見つめてみることだ。そこには限りない豊かな世界がある。


 

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