沖縄鎮魂の日

   

相良倫子(さがらりんこ)さん(14)が、自作の平和の詩「生きる」を朗読した。立派な詩であった。「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」この今の日本の現状を思うと、不甲斐なさに申し訳なくて聞いて居られないような詩だった。平和は普通に生きることと言い切る。普通に生きるという事が出来ない沖縄の現状が思い起こされる。次々と米軍飛行機の事故が起きている。日本政府の抗議も全く無視されている現状がある。射撃場からは流れ弾が、外まで飛んできている。それでもいてくださいと縋り付くしかない日本なのか。「一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり、未来は、今なんだ」これは県平和祈念資料館が募った「平和の詩」971点の中から選ばれた詩だという。沖縄の中学生の高い文化的資質に驚かされる。沖縄は言葉の優れた土地だと思う。

沖縄県尾長知事の冒頭の亡くなられた人への思いが、沖縄の現状への静かではあるが、深い悲しみの言葉があった。70,3%の米軍基地がある現状の固定化。辺野古米軍基地問題への怒り。米軍事故への抗議。そして、安倍総理大臣の来賓あいさつが、立派な言葉が連ねられた。言葉道理であれば、なぜ沖縄の現状は変わらないのであろう。まったく空々しい言葉が流れた。誰かが書いた言葉としか思えない。この人には相良倫子さんの平和への怒りは伝わらなかったのだろう。終わってからの挨拶では、米軍が射撃場を使用しないと約束したと手柄顔で話した。沖縄の海に墜落した戦闘機の問題は何故取り上げないのだ。まだ1カ月もたたない事故だ。2日後には飛行が再開されている。米韓軍事演習は中止された。場合によっては、朝鮮半島から米軍が引き上げる可能性も出てきた。米軍が存在するという事が、紛争の原因になることもあるのだ。

沖縄では自衛隊基地の増強が計られている。たぶん米軍の引き上げ後を想定しているのだろう。少々の基地など作って平和など来やしない。中国の軍事力の拡充に対して、武力で対抗などもう日本にはできないのだ。韓国政府は米軍の引き上げを望んでいるのだろう。お金を出せないと言えば、米軍は引き上げてくれるそうだ。日本は北朝鮮が平和国家になるために、経済復興にお金を出すことになる可能性が出てきた。もし、その可能性があるなら、アメリカに出すよりよほど有効なお金になる。北朝鮮にも当たり前に生きる日常はない。米軍に依存した安全の中に生きている間に、東アジアでは、安全に生きるという意味が狂ってしまった。武力による均衡に保たれていることが安全ということではない。武力など持たずに、核ミサイルを放棄して平和国家になる。北朝鮮にそのことを要求する以上、日本も率先してその道を歩む必要がある。そう出なければ、あの中学生に恥ずかしいではないか。

「生きる」ーーー相良倫子

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶(いなな)き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線(さんしん)の響き、

照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面(みなも)は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁(まぶに)の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、

宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。

(東京新聞)

 

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