長時間労働

   

電通が長時間労働による過労自殺で批判されている。有能な死んだ方は残念なことだと思うが、何か考え方がおかしいと思う。法律にある労働時間を超えて働いていたことは、違法なのだろう。しかし、農業者が自らどれだけ働こうともう、法律違反にはならない。絵描きがどれだけ絵を描き続けたとしても、違法ではない。法律は働かされる労働と自分の為の労働とは分けて考えている。この法律は、労働者を雇用する者を取り締まる対象としている。私自身にとって、働くというのは働きつくすという事である。「こら、テツヤ、働いて働いて」という方がよく分かる。私は会社に勤められない人間であった。多分、発達障害がいくらかある。人間にはいろいろあって、会社勤めが出来ない人間もいる。働き過ぎが犯罪になるような働き方はできない。やるならやりつくしたいと思ってしまうが、労働というものがいや嫌やらされるているもので良いはずがない。お金のために我慢して働いているのだろうか。

良い仕事をするというのは、やりつくすことがなければ不可能である。それは自給農であれ、絵描きであれ、大企業の社員であれ同じであろう。大企業の社員という人と付き合いもない訳ではないが、立派な人が多いい。正直私などより能力がかなり上だ。日本の企業人はさすがだと思う。農業経営を継続している農業者はスーパーマンのような人だ。いずれも私にはない勤勉さを持っている。嫌なことも我慢して出来る能力である。自分の好みのこと以外は出来ないというわがまま人間である。労働基準局的に言えば違法労働行為の連続で生きてきた。残業どころではなく。「24時間働けますか」という調子で、やりつくそうとしてきた。生きるという事は好きなことをやりつくすということと同じだ。寝ても覚めても目的に向かう事こそ面白かった。

企業内でそういう働き方が許されない理由は、企業で働くことは自分の為ではないという事なのだろう。ノーベル賞をとるような人は、勝手に24時間働いているのではなかろうか。ゲームが好きでゲームに熱中して四六時中やりたいという人はいるだろう。勉強は嫌でもゲームなら4,5時間何でもないという子供が居るだろう。描きたくなって絵を描くのは面白くて止まらなくなる。そのことをむしろ制御している。ただ描いたところで、どうにもならないとわかっているからだ。ゲームをやるのを止めたい、止めさせたいと考える人が多いいことだろうが、ゲームのプロには1億円プレーヤーがいるそうだから、将棋でも囲碁でも、ゲームでも同じことだ。サッカーや野球もそうだろう。スポーツ選手は練習すればするほどよくやっていると言われる。テレビの人気者が睡眠3時間でやっているというようなことは犯罪ではない。魔力で、いや嫌やらされているわけでもなさそうだ。名声という価値で働かされている奴隷と変わらないのか。

企業労働というものが自分の為の働きではないとしたら、その社会の在り方の方がおかしくないだろうか。嫌なら早く辞めればいいのにと思うばかりである。嫌なことで大切な人生をすり減らすなど馬鹿馬鹿しいことだ。我慢や努力という事はどういうことかと言えば、好きなことをやりたいという目的があるからだ。好きなことの真髄に入るためには、努力が必要である。好きなことで生きないという事が問題なのだ。好きなことが分からないのは、好きなことに向って行動を開始して見ないからだ。絵が思うように描けるためには、時間がかかる。見当違いの無駄な努力も繰り返す。行動あるのみ。それは企業内で働くことも同じではないだろうか。ただ、企業に勤めることが給与をもらうためであれば、実にくだらない。お金に支配されて生きたところで、自分の人生にたどり着くことは出来ない。企業はいったい何のために有るものなのだろう。一応は社会貢献などと建前を言うが。

 

 - Peace Cafe