水墨画の墨
水墨画では墨が重要になる。良い墨と良い紙は絶対の条件という人もいる。ここで良いというのは、まずは古いということになる。墨は20年以上たたないと使えるものにはならないという。これは大げさに言うのではなく、実用の問題のようである。日本の富岡鉄斎の要望に従って作られた鉄斎墨というものがある。それが100年後の今でも日本人向けに、製造が続いている。当然、昔の墨という形で模造品が出回っているのだろう。上海にある会社でかつて製造した墨らしい。御多分に漏れず、この会社は国営化され墨の質を落としたと言われている。だから、文革以前の墨をこぞって求める。そもそも良い墨を作るには、手間暇を惜しんでは出来ない。微細な油煙を集めて漆で固める。日本でも奈良の方に古い技法を残した和墨の製造所がある。日本の油煙墨は奈良の10人余りの方々が作っているらしい。松煙墨は青みがあり、油煙の方が粒子が細かいが赤っぽいとされている。いずれにしても20年保存してよくなるというものだから、古いものを探して購入するということになる。
私も20年前に買った墨を何本か持っている。良いものかどうかはわからないが、少し古いものであることは確かだ。どこで買ったかと言えば、東京都美術館の水墨展の会場である。どこかの水墨の会を見に行ったら、事務所の前で、墨を売っていたのだ。今考えれば、不思議なことで本当のことだったのかと思えてくる。そういうことが昔は許されたということになる。今は物販は禁止されている。水墨の会を見て、なるほど滲みにはさまざまある事を知った。そこで、にじみが良いという墨を売っていたので、ついつい買ったのだ。奈良の墨だと言われた記憶がある。販売している人に滲みの美しく出る、墨はないかと聞いて買った。それなりの価格だった記憶があるが、一つ試してみるかという気持ちで購入した。家に帰ってすぐ使ったら、まるでコントロールできないほどの滲みで、それまでの書道墨が嘘のようだった。その墨をもって中国に行き、中国の宣紙に一枚だけ水墨を描いた。
中国でもその時墨を買ってきたが、文革後だから良いものかどうかはわからない。あまり期待できる雰囲気ではなかった。つまり、上海の美術大学には教授の絵が並んで売られていた。滲みのあまりない水墨画ばかり描いていていて、まるで劇画の様な幼稚な感じなので驚いた。街で売られている安物の掛け軸と変わらない調子で、お土産のように並んでいた。その後、鎮江で会った水墨画家が日本の鳩居堂で画材は買う方が良いなどと言っていたので驚いた。あまりいいものは現代中国にはないという感じだった。良い唐墨の古墨は書を描くときには使わないと、中川一政氏は書いている。水墨画の時のみということだろう。滲みが強く出るので、字には向かないという意味だと思う。高くてもったいないという意味ではないのだろう。中川一政氏が高いと考えるかもしれないというほど、古墨には高価なものがある。だから偽物も幾らでも出てくることになる。
墨のことを考えたのは、水彩人の仲間の青木さんが墨をいろいろに使っていたからだ。青木さんは材料には詳しい人で、和紙のことなどでもいろいろ教えてもらえる。当然墨も詳しいと思って聞いてみたのだが、その青木さんも墨の本当のところはわからないと言われていた。昔、良い墨だというものを書道家から貰ったので、それを使っている程度で、何が良いのかもわからないと、謙遜していた。むしろ、墨の世界の奥の深さを言われているような気がした。そのあと中国画の色彩の話になったのだが、中国画の色は悪すぎるということでは、意見が一致した。色は日本はいい。それは文化の違いだろうという話になったのだが、日本人だから日本の色を良いと感じるのか、中国人はあの中国の色彩を良いと感じてるのか、などというあたりで話は終わった。しかし、水墨の良さに関しては、古い時代の中国人の感覚の良さは卓越している。中国画でも色の良い時代はあったということになった。話に結論があるわけではないので、またの機会に続きを話してみたい。