安倍 晋三 という人間
安倍総理大臣は文楽人形のようだ。操る人がいて動いている。IOC総会で、日本国として、真っ赤な嘘を、堂々と演じてしまった。この人の行動や発言を見ていると、きれい事が過ぎて、自分から出てくる言葉とは思えない。言葉としての汚染水発言は、度肝を抜くものである。分っている人からは出てこない言葉だ。しかし、一方からいえば、すごい戦略家であり、さすがともいえる訳だ。日本のためには嘘ぐらい平気で付くという覚悟とも思える。そうは言っても瑞穂の国、美しい国に始まる、きれい事と、現実政策との乖離は頭の中が、空洞になっていると考えるしかない。この人は子供の頃から、周囲からこうあれよと操られて生きてきた。操られていることと、自分であるということが分からなくなったのではないか。日本の現状のように、民主政治が機能を失っているような状態の中では、こんな危ういことも起こり得るのかと思える。どこかに、電通系の演出者会議のようなものがあり、あなたはタレントなのですから、一切頭を使わず言うとおりに動いてください。ということなのではないか。まあそこまでははっきりとは言わないだろうが。
安倍氏が愚かな人とは思わない。理解しなければ役者はできない。安倍氏としてはどうしてもやりたいことがあるので、我慢しているつもりなのではないか。安倍氏の考える日本の再生を使命としているのだろう。その一事のために、演出をお任せしたのではないだろうか。たぶん演出のプロデューサーグループには、各分野の専門家が居るのだろう。手振り身振りの指導まであると思う。それは東京オリンピック誘致戦略の、あの「お・も・て・な・し」の演技指導だ。当然総理大臣の発言内容の、自信に満ちた嘘も演出指導が入っている。演出できるということは役者ぶりがいいということで、猪瀬東京都知事とはこの点が違う。猪瀬知事は演技者としては失格だ。ニューヨークタイムズのインタビューで露呈したので、その後小学生操りのような、あっちむいてホイのようなぎこちない動きだった。安倍氏の役者としての凄さは、全く自分の考えにこだわらず、言われた通り出来ることではないだろうか。役者だって自分の意見はあるだろう。勝新が影武者で黒沢監督からおろされた例がある。
言われたことを言われた通りにできるということが、安倍氏の育ちから来る資質なのだろう。浅原彰晃も、周囲から演出が入っていたような気がする。演出グループにしてみれば、浅原の様な狂信者をおだてて、仕立て上げ、自分たちの野望を遂げようとしていたのではないか。以前足裏占いの教祖が、興信所を使い調べ上げて於いて、お告げをノタマウという宗教詐欺事件があった。中心というのは、周辺が作り上げる。アベノミックスという点が今のところ表面にある政策である。第3の矢まで放たれ、7年先の東京オリンピックが第4の矢だと言われ始めている。いわゆる、新自由主義経済と言われる楽観的成長論である。こういう考え方を本来安倍氏が持っていたとは思わない。デフレ脱却をお題目にして、国際経済競争に勝ち抜くことが国民受けをする。結果、能力型社会を、受益者負担型社会を、格差社会を進めていることになっている。その仮面として、美しい日本が讃えられてゆく。
小泉劇場は座長公演のようなものであった。座長の派手な演技で客集めが出来た。今度の安倍人形浄瑠璃は、手のかかり、足のかかり、頭のかかり、と黒子が取り巻いて上演されている。はっきり言ってしまえば、口パクのあまちゃんの鈴鹿ひろ美のようなものだ。鈴鹿ひろ美はその嘘を役者の覚悟として受け入れた。あべちゃん人形一座は座長公演のあやうさを知っているのだ。手厚い黒子陣が控えている。そして最大の問題は、言われている国粋主義的傾向である。安倍氏の、日本主義である。今のところ、その傾向は抑えている。演出陣としてはまだ早いのか、止めておけ、なのか。前回靖国に行けなかったことを、あれほど悔しがった人が、今回平気で反故にしている。あの変わりの英霊発言も練った演出なのだろう。この人は日本主義の人ではないのかもしれない。この人の周りに、あるいは先代からの参謀に、日本主義有利の情報があるにすぎないのではないか。そういうリサーチ結果で動いている様な気がしてきた。このあたりの真実はアメリカの情報機関に教えてもらいたいぐらいだ。