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笹村 出-自給農業の記録-

舟原溜め池、カキツバタの移植

   

 

3月1日舟原のため池のカキツバタの移植を行った。前日に、堀上げてあった、塊のカキツバタをほぐして植え付けられるように、準備をした。4人で行い一日かかって、8割ほど終わった。掘り上げたのは12月だったから、2か月池の縁に置いてあった。

この間過去にない少雨が続き、マイナス10度の日もあった。ただ斜面に重ねるように置いただけなので、どれだけ傷んだものか、心配だった。ほぐしながあまり枯れたようでもないという様子だったので、ほぅとした。しかし植えてみなければまだどれくらい再生するかはわからない。

ともかくカキツバタが生きているかが心配だったのだが、まずまず、枯れたようなものはなかった。掘り起こした株は、田井草が絡まっている状態だったので、できる限り取り除いた。かなりてこずる作業だった。しかし、8割方前日にほぐし終わることができ、1日の植え込み準備はできた。

ほぐした株は苗トレーに30杯になった。一トレーに30株あるとして、900株ということになる。1列20mだとすると、50センチおきに植えて、40株。22列植えられることになる。半分が根付けばいいとして、上のため池は満杯になるはずだ。

1日に残った株をほぐしたのだが、10箱ぐらいあり、これは余った。余ったものは仮植をして、あとで枯れた場所に捕食する予定だ。結局1000株にはなった。10株を植えたのが始まりだから、100倍に増えたことになる。まずまずうまく増殖したという事だろう。

カキツバタを植えたのは、7年前になる。石垣に行き、小田原の思い出に何か残すことは出来ないかと考えた。舟原溜め池にカキツバタを植えたらば何時までも、小田原に見に来ることになり、懐かしい記念になる気がした。京都の都若園芸から取り寄せたものである。

この時には、地球博物館の方から、よそから植物を導入してはならないと注意された。なんという馬鹿な話かと思い無視をした。そんなことを言えば、日本中の植物園がすべての植物を廃棄する必要があるだろう。よそから植物を入れなければ農業はすべてできない。環境原理主義には本当に困る。

最初はショウブが良いとか、ハスが良いとか、いろいろ考えたのだが、結局カキツバタが一番溜め池にはふさわしいと言うことになり、苗を10株購入して植え込んだ。それが徐々に広がって、今では10倍の1000株くらいはある。この地域でカキツバタを植えた公園などでうまくいったところはない。

上の溜め池の泥サライを行うときに、事前に上の方の溜め池にあったカキツバタはすべて抜き去ったわけだ。そして、このカキツバタだけを溜め池に植え直すことにした。そうすれば雑草もなくなり、カキツバタだけになる。そしてカキツバタが上手く繁茂すれば、もう雑草も生えなくなる。

カキツバタが雑草を抑えてくれるということが、カキツバタを選んだ理由だ。多くの水生植物が管理が大変である。植え替えをしたり、雑草抜きをしたり、肥料を与えたり、カキツバタはそういうことを一切しなくても、元気に生育してくれる。消毒などしないでも、虫にやられるというようなこともない。

上のため池はユンボですべて泥をさらった。雑草も根こそぎ取り除いたので、カキツバタを戻せば、しばらくは雑草も出てこないはずだ。その間にカキツバタが繁茂してしまえば、この後雑草が出ないはずだ。来年には整然としたカキツバタ池が生まれるはずだ。

カキツバタはまず堀り上げたわけだが、それだけでも5人で3日はかかった。正直大変な作業だった。それをほぐすのの、4人で一日では終わらなかった。列に溝を掘り、そこに植えてゆこうかと思う。埋め戻す方が楽だとは思うが、丸一日はかかるとみていた。

埋め戻しは6人で行い丸一日かかった。植物の専門の人や農業をやっている人なので、うまく植えることができた。小田原で私がやるべき仕事が終わったという感じである。これだけはやらなければ、今まで久野でお世話になった方々に、申し訳が立たない。

もう一つの心配だったのはため池が水がたまり、カキツバタが植えられなくなっているのではないかという事だった。水は一部に溜まっているところがあったが、問題がない範囲だった。今年の冬の少雨のおかげで、山の湧水が枯れている。そのおかげで水が流れてこなかったのだ。

いろいろ幸運も重なり、今年の少雨のおかげで、今日ユンボ作業ができる。ユンボで下のため池に水路を掘る。水路を掘れば、下のため池がさらに乾くと思う。下のため池を乾かして、さらに泥さらいをして、ガマをすべて取り除く予定だ。

ユンボ作業は小田原市との約束では、業者がやってくれることになっていた。ところが、ため池がぬかるんでいるからできないと主張する。それは明らかにウソだ。そして取りやめにしまった。私が小田原に居ないもので、勝手なことをする。確かにできない部分もあるが、十分に乾燥していてはいることができる。だから今日私が作業をする。

今日その作業がどこまで進むかはやってみなければわからないが、周回道路を固める作業。上のため池から下のため池への排水路の構築。そして下のため池の排水路づくり。うまく排水路ができれば、来年には蓮を植えられるはずだ。蓮が植われば、蓮を食べたいという人が、管理を手伝ってくれるかもしれないという作戦である。花蓮にするつもりだ。

石垣島で花蓮を栽培している。一気に増えるものだ。来年上手く作業ができれば、上の池がカキツバタ、下の池は花蓮。素晴らしい花の池になるはずだ。ここまでは何としてもやり遂げるつもりでいる。石垣島でもため池を作り水連池と蓮池を作った。素晴らしいものである。

美しい場所が完成すれば、誰かが管理を続けてくれるはずだ。何故それを実現したいかと言えば、この舟原ため池は江戸時代初期に、小田原の人口が急増してゆく。それは、江戸のエネルギー供給源になったからである。炭やまきを出荷していた。

そこに暮らす人たちの食糧生産の場所として、田んぼが山間部にも開かれてゆく。以前、丹沢の不老山の中腹で水田をやったことがあるが、非常に苦労して岩をくりぬいて水路を作っていた。人が暮らすためには、水田が不可欠だった。

小田原でも久野に水田が開かれ集落ができてゆく。その水田のためにため池が作られる。舟羽田ため池はその一つである。こうした農業遺構を残すことが庶民の暮らしを伝えるために、重要だと考えるからだ。田んぼ自体が失われてゆく時代になっている。

人間の暮らしを忘れてしまわないために、農業遺構を残す必要がある。農地がなくなる時代が来るかもしれないが、どうやってこの地域に人が暮らすようになったのかを、ため池を残すことで忘れないようにしてもらいたいと考えている。

本来であれば、このため池の所有者は小田原市である。小田原市が自らやるべき仕事である。しかし、お城の保全はしているが、農業遺構には関心がない。お城のような軍事や政治の象徴はどうでもいい。人間の暮らしの視点で歴史を見なければならない。

それがなかなか小田原市の政治では見えないらしい。しかしいつかは歴史の何が重要なのかに、気づく時代が来ると考えている。それまでに失われていればどうにもならない。私にできることもそろそろ限界が近づいているが、舟原ため池だけはもう一息頑張りたい。

これは近藤益男さん、田中康介さんと約束したことだ。二人の協力のおかげで、何とかここまで整備ができた。二人がいなければ、すでにため池はごみの穴になっていたはずだ。お世話になった二人への恩返しのためにも、必ずやり遂げるつもりだ。

 

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