政治の言葉
「真っ先に万歳でお祝いします。」と安倍氏がトルコで発言した。本当のことなら国会の前でやってもらいたいと思う。当人は上手くトルコに謝罪したと思っても、結果、冗談にもならない話になる場合もある。ニューヨークタイムスのインタビューでの、イスラム諸国に対する猪瀬氏の発言の幼稚さには驚く。政治家の言動というものがどういう影響になるかがわかっていない、素人政治家が目立つ。海外のメディアが何を期待して居るかぐらい感づかなければ、政治家ではない。そういえば、尖閣を石原氏と一緒になって、問題化したのも猪瀬氏であった。東京都民もこんな人に大量得票を与えて、傲慢にさせるのだからいけない。そして、橋下氏である。大阪市長の立場で、軍隊には風俗業が必要だなど、不愉快極まりない発言である。従軍慰安婦問題を何故持ち出したのだろう。そして、自民党の憲法改定論では96条改定には大半の自民党議員はだんまりである。
「誠意を持って、議論してまいる所存であります。」これは96条問題での安倍氏の公明党に対する発言である。この意味するところは、ついてくるから問題ない。ということを表現しているのだろうか。何をどう議論するのか、公開討論会でも両党でやるとでもいうのだろうか。政治家は言葉で考えていることを表明する技術がなければならない。代議員は国民に代わっての代表なのだから、国民とよく話し合うのは当然の義務である。国民にとっては聞きたくないような悪い話も、伝えなければならないこともあるだろう。気の利いたつもりで米軍の司令官に、面前で風俗業の利用を進めるなど、米軍をバカにしているとしか受け取られる訳がない。テレビタックルの発言ではないのだ。そういえば、橋下氏はテレビ番組の発言が発端で、有罪になったこともあった。そういう下劣な手法で人気を集めたタレントなのだろう。テレビ番組の太田総理が言っていたが、もっと過激に発言するようにプロジューサーから言われ続けているそうだ。
高市氏の政調会長としての発言は、取り消して済むものだろうか。原発推進や原発輸出を止めるというなら分かるが、やることはやるが理由としての死者が居ないという部分だけを取り消すというのでは、おかしいだろう。反省して、反原発を主張するというなら、死んだ人達から許されるだろう。岩手では病院で番号で呼ばれたことで頭にきて、刑務所じゃないんだとブログに書いた県会議員が現われた。病院で名前を呼ばない理由ぐらいわからないのだろうか。銀行だってそうだ。公衆の面前では出来る限り名前を呼ばないような社会に変化している。考え違いで頭に来たとしても、何故名前で読んでくれないのですか。ぐらいの聞き方が普通だろう。この人はどうも自殺をしてしまったらしい。死んだ人を責めるたくはないが、一度書いたことなので、消すのもおかしいので書き残しておく。政治家の立ち位置は、そしてその言葉はそれくらい重くて難しいということなのだろう。
安倍氏の物言いは、なかなかだと思う。政治家としての発言は上手な人だと思う。問題はどうも演出家に言わされている感がある。役者のせりふのような感触がする。本当にこの人の言葉なのだろうか。本音の発言を何故しないのか。どこか歯がゆいところがある。農業者所得倍増論を述べている時も、スラスラいかにもありそうな希望をしゃべっていた。しかし、どうやって農業者の所得が倍増できるのかということは、具体的な説明がない。ついそれに触れるのが人間の言葉だ。自民党の選挙マニュフェストを読んでも、きれい事が並べてあるにすぎない。農業の問題はあまるお米をどうするかは避けられない。企業参入と農協の関係を将来どういうものにしてゆくのかも出てくる。農地法をどうするか。農業不可能な山村が消えてゆく対策はどうなるか。耕作放棄地を借り上げる公共組織の具体的構想は。大規模企業的農家の使わない農地はどうするのか。どう読んでも自民党のマニュフェストでは、理解できない。理解はできないが、所得だけは倍増でいいのだろうか。
昨日の自給作業:コロガシ2時間 累計時間:33時間