日本原子力研究開発機構

   

また原子力機構が事故を起こした。敦賀のもんじゅで1万か所近いミスを見落としていたということで、社長が辞任したばかりである。その後の調査でもんじゅでは2000か所の放置個所が見つかったという。何か根本的な体質がおかしいと考えざる得ない。研究施設のビーム装置の誤作動で放射性物質漏れが発生した際、異常を示す警報が鳴った。研究チームは、誤警報と判断する。フィルターの付いていない換気扇を回して建物の外に排気しようとする。そのうえ、実験を続けたという。判断ミスが重なり、漏れに気づいたのは24日夕だった。5月23日の事故発生後、施設内の放射線量が上昇し、16基ある換気扇を回した。一回目は約15分で止め、二回目は66時間にわたり、回し続けていた。当初は、二回目の作動時間を三十分間と説明していたが、両機構が職員らへの聞き取りを進めて、換気扇のことを忘れていたということが明らかになったという。

自民党は原子力発電所を再開しようとしている。原発輸出も必要だとしている。選挙公約に掲げている。高市政調会長によると、原発事故では死者が出ていないことを理由に、再開を主張した。日本の歴史上これほど悪質な人災はなかったと考えている。にもかかわらず、死んだ人がいないから大した事故ではないという認識が自民党の認識である。本音では案外にそう考えている人がおおいいという判断だろう。また事故が起きたとしても、この程度なら大したことではないという結果判断である。経済を優先すべきだということなのだろう。まず、原発事故の認識を議論すべきだ。人が死んでいないという側面からだけ見たら、この事故をゆがんで認識してしまう可能性が高い。何しろ16万人が今だ自分の土地に戻れないのだ。無理に戻っても、今後の生活の再建は見通しもない。200キロ離れた小田原まで、放射能汚染で農作物の出荷停止が起きた。人間の健康にわずかずつの影響を与えていることは間違いが無い。それは今後何十年かは続く。直接影響はわずかでも、永く残る汚染が起きたことは忘れられない。

農地が汚染されたために精神的なダメージを大きく受けた。それが足と腕の湿疹になって現れた。もちろん関連があるかどうか証明は出来ないが、そうとしか思えない。これからも汚染された土地で生きてゆかなければならない気持ち悪さ。日頃忘れるようにしているが、この気分がたまらなく負担だ。土作りを農業の基本姿勢にしてきたものとしては、取り返しがつかないような負担感がある。原発の再開はこの気持ちを逆なですることなのだ。原発再開を主張するものは、再開の義務として核廃棄物の処理を示す必要がある。安い電力と原子力発電を主張するなら、放射性廃棄物の処理費を示してほしい。先進国ではすでに原発を安い発電と考えない方向が出てきている。安いというのは目先の経済に過ぎない。これは高市氏も認めている。廃棄まで考えれば、高くつく発電方法なのだ。

原子力機構の事故を見ても、人間は間違いを起こすものだ。どこまで注意を言われても、注意出来ないのが人間である。人間がやる以上、取り返しのつかない事故を起こす可能性のある原発は利用しない方が望ましい技術である。人間というものが、このくらいミスをするものなのか。あるいはこの会社が特別にひどいのか。少なくともこのような会社に、もんじゅの開発を許す訳にはゆかないだろう。もしかしたら、もんじゅをずるずる開発していることで、国からお金を引き出しているだけなのかもしれない。原発輸出の本質は、原爆の潜在的保有を意味している。最悪の武器輸出になるのではないか。いまさら原発を始める国の本音は、原爆開発だろう。日本は平和憲法に基づき、武器輸出を禁止している国である。経済優先で武器輸出まで始めるということが、原発輸出である。どこから見ても原子力は止めた方がいい。もう一度原発大ミスが起こる前に原発を止めよう。

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