直ちに、想定外
「直ちに、想定外」管政権と報道各社が作り出した言葉である。責任逃れの巧みな言葉である。実に今の時代を表している。正面から問題にむかい合おうとしない逃げの思想。東電と政府は明らかに初期対応で、ごまかしを行った。そのゴマカシが尾を引き、大事故の重要な初期対応を誤ってしまった。この地震は想定通りのものである。そしてさらに想定されているのは、東海で起こる大地震である。必ず起こるものなのだ。それを政府と東電と報道で、想定外であると刷り込もうとしいる。福島原発は40年の耐用年数を過ぎ、20年も引き延ばす東電のあこぎな利益追求が生み出した想定内の事故と言わざる得ない。安いからこそ原発を選択してきた結果。経済原理主義の恐ろしさ。起きてしまったことはともかく、次に歩み出す必要がある。原発の廃止だ。
福島原発10キロ圏から避難してきた人たちに、NHKがアンケート調査をしていた。「原発は必要であるか。」というものだ。何と52%の人が必要と答えている。これは洗脳の結果なのではないか。正しい判断が出来ないようにされてしまっている。家を失い、以前のような暮らしは出来ない状況である。多分戻れないだろう。何かおかしくないか。原発が絶対的なものでるために、人間の思考を停止させてしまう、信仰でも生まれているのだろうか。「原発の安全神話、放射能は怖くない。」洗脳。そう思い込まない限り、原発を見ながらは暮らせないという気はする。目をそむけているうちに、原発の精神支配が起こる。原発の恩恵、基地の恩恵。お金が人間の精神をむしばみ変えて行く。過疎地であればある程、迷惑施設を地域経済の為にということで受け入れる。その為には地域総ぐるみの洗脳が行われてきた。原発が無ければ資源のない日本は立ちゆかない。米軍の基地が無ければ沖縄の経済は崩壊する。
民主党のある議員は「都会のそばに原発を作った自民党政権に責任がある。」と、発言していた。過疎地域なら切り捨てても問題はない。経済への影響が少なかったということらしい。人間の事など少しも見えていない。これほどひどい政権があるものだろうか。大本営化した報道では原発を止めようという意見は出ない。サンケイでは低炭素化社会への転換をこの事故で止めてはならないとしている。「直ちに」放射能は人体を壊す訳ではない。4年後くらいにがんが発症しはじめる。今日明日に影響が少ないのは、放射能の性格にすぎない。政府や東電が言い逃れで使うのはまだしも、大学の先生が軒並みこういう言葉を使う。御用学者という言葉が出ているが。はっきりと、原発利権学者と見た方がいい。原発のおかげで今の地位を獲得した人たちだ。原発を安全で経済的なエネルギー施設と、間違った学問をでっちあげてしまった人たちだ。反原発では教授に成れないとしたら、どんな学問をしてきたか見える気がする。
「想定外」とはまさに学問の敗北だろう。あの津波や地震が想定できないなら、そもそも地震学者とは言えない。責任をとって国立大学や公共機関は退職してもらいたい。もっと大きなものが最近スマトラであったではないか。想定外でないことが素人にも分かることだ。人間のための科学はどこへ行ったのか。政府や企業の望むところを想定するだけなら学問はいらない。人間は一般に経済を優先して安全を軽視する。そこに科学的なメスを入れるのが、学問の科学の役割である。日本が方角を変える、戦後最大の機会を迎えている。今なら日本は間に合う。充分に間に合う。この大災害を希望につなげることが出来るなら、多くの亡くなられた方々の無念も、少しは慰められることだろう。現代の信仰ともいえる拝金主義を止めること。人間らしい暮らしを深めること。精神の豊かさこそ、安心な暮らしであること。