新しい村づくり
関ヶ原の合戦の最中に、関ヶ原の農民は変わらず畑を耕作していた。という話を読んだことがある。被災地の復興事業として、中山間地での暮らしの再編をしたらどうだろうか。現代日本では中山間地の集落が消えて行く。東北地方でも春は近い。人が来てくれることを待ちわびている集落は、いくらでもあるはずだ。この機会に日本再生の村づくりを始める。村全体の移住を支援してゆけば、日本全体の方向性が見えだすはずだ。一人100坪の土地があれば、人間は最低限生きて行ける。都会的な机上の解決策でなく、住民発の日本再生策を提案して行くことだ。大きな機会に立ち会っている。この大災害を日本の新しい転換点にしたい。人間らしい暮らしとは何か。この原点に立ち、日本の国土を見直してみる。人さえいれば、原発などなくても集落の暮らしが続けられる。
新しい村づくりに、不可欠なことは技術である。自給の食糧生産には、1日1時間の労働と100坪の土地。これには自給技術が不可欠なことである。身体を使う技術は、1日1時間のはずが、1日10時間働いても、何も収穫が出来ないこともある。楽しい自給生活に成るか、苦しい暮らしに成るかは、身体が覚える技術である。私の場合は、20年やって最近やっとシャベルより鍬の方が使いやすい作業があることが分かった。今では農家の人すら、身体が忘れかけているかもしれない。トラックタ―より早くて合理的な、手作業もある。脱低酸素化社会とはそう言うことだ。必要な最新技術は大いに取り入れて、自然の循環の中に人間の暮らしを織り込んでゆく。日本列島という地域では循環する社会が、江戸時代に一度は出来あがった。そこに最新の技術を循環の視点から見直し、取り入れる。半分の面積で、倍の食糧生産が出来るはずだ。
視点を変えてみれば、日本の自然に恵まれた国土が見えてくるはずだ。競争を止め、協働を目指す。相手を滅ぼすのでなく、支え合う。そうしたことを観念ではなく、日々の暮らしとして反映させて行く。江戸時代の悪かったことを挙げればきりがない。民主主義が無かった。人権が軽視された。身分制度があった。男尊女卑の封建社会であった。科学的な考え方が不足した。こうした問題点踏まえたうえで、地域社会を再構築させることではないか。ある意味、こうした江戸時代の封建性は、抜けがらとなっていまだ地域を覆っている。これが厭で地域を離れ、都会へ移り住む人が多かった原因のひとつのだろう。能力のある人間から抜けて行く社会は、力を失い空洞化する。おりしもダッシュ村は原発に近い。どうしたのだろうか。都会の消費生活が、都会人の夢の村を一瞬に崩壊させる。都市的論理の崩壊を目の当たりにする。
村づくりにはまずインフラ整備である。「医療、福祉、教育、交通、通信」ネットワークづくりからである。国の責任で、基盤的なところを固める。無駄な箱作りなど全く要らない。実は福島県飯舘村ではそうした新しい村づくりが始まっていたのだ。小田原市の環境再選検討委員会の委員長の小澤さんのブログにそのことは書かれている。新しい村作りが軌道に乗り始めた矢先、汚染の集中する地点に成ってしまった。にもかかわらず、避難指示も自宅待機すら出ていない。皮肉な現実。皮肉と言えば、原発を持っているということは、原子力時限爆弾を抱えているということのようだ。もしテロがあれば、自暴自棄となった国の暴発が、日本の武力による自衛が不可能であることが、誰の目にも明らかになった。平和憲法は原子力の放棄も、意味しているようだ。