大晦日の達磨さん
暮れに成ると達磨さんの事を思い出す。手も足も出ない。と言う事ではない。今年も精一杯暮すことが出来たかどうかである。一日の充実。ここがなかなか難しい。
「挙す、梁の武帝、達磨大師に問う、如何(いか)なるか是れ聖諦第一義(しょうたいだいいちぎ)、磨云く・廓然無聖(かくねんむしょう)、帝云く、朕(ちん)に対する者は誰そ、磨云く、不識(ふしき) 帝契わず、遂に江を渡り、少林に至って面壁(めんぺき)九年」
達磨大師はインドの偉いお坊さんである。中国に武帝という皇帝菩薩を名乗る人がいる。是非に中国での仏教の普及に、力を貸していただきたいという依頼がある。それから、三年かけて、小さな船に乗って中国の広州にたどり着く。まだ、日本では仏教のぶの字もない頃の事。はるばる広州にたどり着く。水の上を歩く技を披露しながら、武帝と面会する。武帝も袈裟姿で一見僧侶のごとくある。「私も中国ではずいぶんと仏教の普及に努めました。大きなお寺を建立しました。仏教の教えに従い、清貧に暮らしています。この功徳はいかほどのものでしょうか。」少し、自慢げなにおいがしたのだろう。達磨「無意味だな。」皇帝「それじゃ、私の前にいる聖者と呼ばれるあなたは誰だというのだ。」達磨「そんなことじゃないよ。」期待した皇帝菩薩にあきれて、すぐその場を去り、少林寺の穴ぼこで9年間、座っていることになる。この達磨を立たせたのは慧可大師である。
「廓然無聖(かくねんむしょう)、来機逕庭(らいきけいてい)、得は鼻(び)を犯すに非ずして斤(きん)を揮(ふるい)い、失は頭を廻らさずして甑(そう)を堕(だ)す」
「蓼々(りょうりょう)として少林に冷坐し、黙々として正令を全提(ぜんてい)す」「秋清うして月霜輪を転じ、河(か)淡(あわ)うして斗(と)夜柄(やへい)を垂る」「縄縄(じょうじょう)として衣鉢児孫(えはつじそん)に付す、此より人天薬病(にんてんやくへい)と成る」
仏教は結果を求めるものじゃない、無所得・無所悟という事。武帝とは根本が違う。得意なことは、思い切って行う。失敗は、潔くあきらめる。
静かに座っているしかない。そうしていることが全てに繋がっていてのかもしれない。特効薬の効能に頼るようではしかたがない。
達磨を立たせたのは慧可である。達磨に教えを受けたいと弟子入りを志願したが、座ったまま気付いてもくれない。もうだるまになって手も足もなくなったようである。そこで慧可は思いきって自分の左腕を切り落とし、達磨に投げつける。これで達磨は目覚める。インド仏教の真髄を中国に伝える事になる。そもそもの禅宗の始まりである。達磨が残した思想はあの敦煌洞窟で20世紀初頭に発見された、「二入四行論」がある。難解で私には良く分からないが、人間の安心立命の方法を説いたもののようだ。慧可は実在の人物で、達磨大師は慧可の創作であるとも言われる。慧可は処刑され、死んでいる。ただ座っている価値の教え。そのことに深く気付いたのが、道元禅師。ただ座る精一杯。
だるまのオモチャの七転び八起き。こうした起き上がりコブシのオモチャは古今東西にあるのだろうが、達磨を当て込んだ発想は格別である。たぶんこれを縁起物にしたのは、日本人だ。達磨市等江戸時代的に良く出来ている。「だるまさんがころんだ」と数を数える。「達磨さん達磨さんにらめっこしましょ。」多くの子供たちにまで親しまれる。結果を求めない精一杯。今年一年を、充分に生きたのか。暮らしたのか。過ぎ去った数々の失敗は、あきらめきる。来る年の一日にかける。
自給作業年間累計:304時間