北朝鮮のロケット打ち上げ

   

北朝鮮のロケットが日本上空を通過して太平洋に落ちたようだ。アメリカのアポロ計画のときもそうだが、事実の確認の方法は無いが、そう言う事らしい。秋田や岩手ではとても不安なことだっただろう。昔は米ソの宇宙競争と言う事で、どちらが先に月まで行けるか。その力を誇示しあっていた。人類の夢だとか言っていたが、世界のリーダー争いをしていたのだろう。北朝鮮は遅れてきただけだ。北朝鮮の時代錯誤なグロテスクな印象は、当時のアメリカやソビエトと同じことだ。日本だって、競争の中で科学者の姿勢はゆがんでいたと思う。何のための科学か。北朝鮮を批判している政府の姿は、いかにも醜い。外交的力量の不足が露呈している。北朝鮮の独裁者に、良いように引き回されているとしか思えない。何故、ロケットの発射が、国連決議違反なのか、私には理解できない。麻生政権はこの機会を捉えて、北朝鮮を危険極まりない、テロ国家であるとの演出をしていたのだろうか。

「戦争反対」戦争は何が何でも反対である。あらゆる意味で反対である。殺すぐらいなら、殺される側に回るほうを望んでいる。しつこいが、戦争は反対である。戦争を避けるためには、この際あらゆる屈辱も、我慢した方が良い。戦争を避けるためには、軍事力ではどうにもならない。例えば、アメリカと、韓国と、日本で連合軍を作り、北朝鮮を占領したとする。大きな犠牲が出るだろう。すごい殺戮となるだろう。そうしたことが避けられない上に、イラクの占領と同じ結果になるだけだろう。朝鮮人の恨みもさらに深くなる。イラクで戦争をして、占領をして、イラクの国民の生活はどうなったのだろう。アフガンはどうか。戦争をしていて、何かが良くなることがあっただろうか。イラクの状況も、アフガンの状況も、たぶん北朝鮮の状況も、同じことだと思う。戦争によって何かが解決するというようなことはない。それは腹の立つ悪役の独裁者は居なくなるだろう。と言って、その国の国民は何においても、変わらない。恨みつらみを深めて、いつか逆襲に転ずる。2000年経ったユダヤ人だって同じだ。

戦争をなくすには、太陽政策が単純に良いかといえば、そうでもないことも金大中政権盧武鉉政権の経過で判る。辛抱だ。とても時間がかかる。100年以上のスパンで考えないことには、解決はない。今後世界は、急速に混乱を深める。食糧危機も深刻化する。今の経済後退も一過性の事ではない。今回の事件で政府の取った、愚にもつかない、多分に総選挙対策のような、無意味な刺激的外交法は、今後リスクを高めていくことになる。どうにもならないことを、くよくよすることはイライラを高めるだけで、社会的フラストレーションが高める。報道という物のレベルの低下も際立っていた。ミサイルだと言う断定報道は、一見北朝鮮の意図を見抜いたつもりであろうが、北朝鮮の外交戦略に乗せられただけである。日本のエキセントリックな対応姿勢が、世界に対し、案外北朝鮮の弱者としての正当性を、宣伝してしまっている。

この機会を利用して、日本の国防システムを強化したいと言う、力が強く働いた。迎撃ミサイルだとか、パトリオットだとか、やりすぎもいいところ。有事法制発動の模擬実験の機会にした。こうして、国民を軍国主義にならそうとしている。いかにもミサイルが落ちてくるかもしれないと言うような、煽動を基にして、国民の意識を変えようとした。報道のお先棒を担いでいる主体性の無い姿を見ると、いざとなれば全く頼りないことが分かる。それどころか、簡単に体制翼賛の大本営によればとなることがわかる。世論という物も、実に頼りないものであることも、見えた。案外の所から、まだまだと思うところから、既に戦争は始まっている。北朝鮮をわざわざ孤立させ、とんでもないことをさせる。それを背景に、軍事国家に変貌させる。有事の前に何を言うかと、言論が抑え込まれる空気が出来る。平和を願う者にとってもいい体験が出来た。天邪鬼でいよう。偏屈でいよう。ものわかりが良くないほうが良い。

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