堀田善衛「方丈記私記」
東京への電車の行き帰りで、この本を読んだ。天皇制批判が鋭い。何故戦争に到ったのか。何故東京が焼け野原になったのかが書かれている。その怨念の強さが強烈である。視点としては、方丈記が実は建物の本であること。方丈の話だから当然の事か。確かに、移動式住居の説明を、微に入り細に要り説明する人というのは、当時としては居なかったのだろう。鴨長明という、世捨て人を装うひねくれ風流人としては、そういう所が、興味深いに決まっている。つまり、現代の帰農派としては、何の不思議も感じない。同類であるが、どうも鴨長明の権力志向が気に入らない、らしい。そこにある、ウジャウジャなる天皇制というものとウジャウジャ混沌社会状況が、その怨念の炎を燃え滾らすように文章が揺らめく。文章の息遣いが、絵で言う筆触として伝わる。
文章家としての、堀田善衛の文章解析が何ともすごい。堀田善衛には鴨長明と同時代の藤原定家を読み下した。「定家明月記私抄」がある。要するに本というものをどう読んでゆくか。の姿がここにある。文章を読むと言う事がどう、私的であって、そこからどう導き出すものがあるのか。本は自分なりに読めばいい、そう言う事が実に良くわかる。私のものとして本を読む意味。方丈記の暮らしの部分に私なら興味がある。自給自足で暮らすと言う事がどのようなことか、やってみて充分判った上で読む。堀田氏がその点では何も判っていないと言う事は、仕方がない。生活から離れてしまった人が、生活者になろうという鴨長明を見ているわけだ。観念派の限界。鴨長明はいかにも実際家。しかし、中世の普通の人は、ほんの一部の貴族以外は、生活人である。その点、戦争で路頭に迷った戦中の日本人とは大違いだろう。
中世の日本人は実にたくましい。自立している。その点では、江戸時代の完成封建社会に取り込まれた日本人とは、様相が違うらしい。つい昔の日本人というと、江戸時代の日本人をイメージするが、中世の日本人は丸で異質らしい。それは自立した生活人としてしか存在できない、混沌の社会だったからだろう。鴨長明が、江戸時代に存在するのと、中世に存在したのでは、まるで違って見えてくる。移動式住居を、自ら設計し、たぶん自作して、牛車2台で運ぶ姿。60歳の私と同様の年齢か。後ろ向きイメージでは私には見えない。権力追随に生き抜いて、思い至らず、それなりの成功の中で、方丈生活に入る。新規就農者にはそういう類が居る。私も同様と言ってもいい。自給生活をたぶんに心配する、堀田氏こそ、生活を知らない。一日1時間100坪で人間は生きて行ける。
この自立した暮らしを知ることは、天皇の下でしか生きてゆけないと、思い込まされた社会においては、とても重要なことだ。堀田氏は高岡出身である。学生時代金沢に居たから、高岡出身の方達から、話を聞いて『広場の孤独』などを読んだ。そのときと今では、まるで違うように読めるものだ。この人が、中国で活動したことの意味が当時は、よく理解できていなかった。その後、スペインの地方で暮すようになる。晩年は鎌倉で隠遁的に生きたらしい。そうした、この人の生き様の方に関心が及ぶ。余分なことだけど、方丈というと、私には祖父の事だ。方丈さんとみんなが呼んでいた。方丈の間というのがお寺にはあって、そこはみんなで寝る部屋だった。かなり広い部屋で、方丈が一間四方とは、昔は思わなかった。堀田氏は方丈に住んでみたのだろうか。最小限の家は、まさに方丈である。