沖縄の悲しみ

   

3月2日、タフト容疑者は「(嘉手納基地に隣接する)キャンプ・シールズのフェンスを乗り越えて基地外に出た。近くで拾った鉄パイプでガラスを割って入った」と供述し、容疑を認めているという。呼気1リットルあたり0.36ミリグラムのアルコールが検出され、酒を飲んでいたらしい。
沖縄で米兵の狼藉が続いている。米軍は外出禁止令まで施行し、教育を徹底すると、確約したにもかかわらず。兵隊の管理が出来ないでいる。残念な事だが、そう成ると想像していた。一般の米兵にすれば駐留の意味が良く理解できない、目的が不明確な、海外での生活が続いている。大きな精神的負担を抱えていると推測できる。そこに来て、仲間が犯罪を起こし、再教育が始まる。今おかれている状態は、最低の心境だろう。酒でも飲まずにはやりきれない。充分理解できる。同情もする。と言って、基地の塀を乗り越えて、酒を飲んで狼藉を働くのでは、沖縄の人達の困惑は大きいだろう。

教育を徹底して、どうにかなるような事でない。外国の兵隊が駐留すると言う事は、こうした狼藉は、必ず起こると言う前提で、考えるべき事なのだ。今までは、外へ出て酒を飲んで騒いで、発散していた。それを閉じ込めたら、塀を乗り越える。そう言う事があるという前提で、それでも米兵に居て貰うことが、必要なのかと考える、所だ。犯罪行為が起きても、仕方がないと考えるか。犯罪は嫌だから、帰ってもらうかだ。教育して、犯罪を抑止するなど、まやかしもいいところだ。それが出来るぐらいなら、世の中から、犯罪者は居なくなる。米兵が来ると言う事は、アメリカの犯罪の発生状態が、沖縄に起こるという事だ。銃の乱射事件だって起こらないとは言えない。沖縄の現実は、この事態でも米軍に対し、仕事が提供されているのだから、仕方がないの気持ちが存在する。六ヶ所村と同じ構図だ。

新聞では、3月2日の米兵の記事は一応は各紙取り上げた。しかし、そのまま外出禁止が解除になった。塀を乗り越えるのだから、同じことだと考えたのか、まさかそうではない。「形式的謹慎期間」が終わっただけだ。世論の熱が冷めれば、それでいいだけ。反米軍活動の様子を見ていたのだ。テレビでは、3月2日の事件は見なかった。もちろん、どこかではやったのだろうけど、私には沈黙に感じられる。沖縄で起きている現実に対し、日本人はもっと怒りをもって当るべきだ。そうでないないなら、日本中等しく負担を負うべきだ。沖縄に押し付けて、六ヶ所村に押し付けて、都会で安穏に暮している。テレビは見てみぬ振り。3月2日の事件に対する報道の消極的態度は、一体どうしたのだろう。自己抑制か。報道管制か。醜い日本人。日本人は等しく、原子力発電所と、米軍の基地を、住宅の付帯施設として、持っている。それをイメージして暮らすべきだ。

弱い所だけ、苦しむ。こんな状態でいいのか。仕事がないから仕方がない。何時までもこう言わざるえない状態に、弱い地域だけが、このままでいいのか。暮らしの方向を変える。もうそういう時にきていないか。幸せのあり方を、平和な暮らしはどんな暮しか、考え直すべき時ではないか。誰かの犠牲の上に、成り立って居る暮らしで、幸せか。それじゃーどうすればいいか。私は、自給の暮らしを提案したい。それぞれが次の暮らしを提案すべきじゃないだろうか。まだ大丈夫、自分だけ幸せならいいじゃないか。こう思っている間に、全ての人が、沖縄や、六ヶ所村に住む日は近い。少しづつ、煙ってきた空気は、黄砂と花粉だけじゃない。今言わないと、言えなくなる。

昨日の自給作業:ピーマン、ナスの種蒔き、苗土の準備1時間 3月累計:2時間

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