薬害肝炎の国の回答が今日出る。
被害者が国を相手に訴訟しなければ成らない。こんなひどいことがあるだろうか。国に殺された人が、沢山いる。血液製剤フィブリノゲンの在庫が、無くなるまで、人の命を軽んじていた、厚生省。ミドリ十字は悪魔の製薬会社だ。その前身が軍の悪魔グループ。血液製剤による、薬害で病気になった人が、厚生省の地下倉庫の棚で、文字どうりたな晒しにされてきた。このことに責任を感じる厚生省の役人はいないと言う。恐ろしい役所だ。ダッカ事件の時に、一人の命は地球より重いと言ったのは、お父さんの福田さんではなかったか。あれもずいぶん馬鹿げた発言と言われたが、息子の福田氏は、今日の回答に向けて、どんな発言をするだろうか。救える命を見殺しにした責任は、裁判では問えないかもしれないが、私はこうした、役人の責任逃れの対応は、決して忘れない。
現在の回答は、アメリカで血液製剤の危険が指摘されて、国が気付くべき時期をいつにするかと言う事のようだ。これは最低限の責任の事で、本来薬は害があってはならないものだ。危険に気付くことができなかったのは、時期がいつであろうと国に責任がある。法はこのことをどう裁くかは別にして、危険な薬を認可して、その為に肝炎になった人すべてが、救済され無ければならないことは、当然の事だ。原告団の患者の方達が、自分の救済だけでなく、全体の救済を主張されていることは、正しい姿勢であるし。美しい姿だ。これに耳を貸さない政府だとしたら、国民の大多数のものは、次の選挙で自民党には投票しないだろう。
行政と言う組織は、何故、国民の側に立たないのだろうか。否立てないのだろうか。厚生省の役人になる人は、いわゆる優秀な人なのであろう。それが、薬害にあった可能性のある人の名前のある名簿を、何故、連絡してあげようと思えなかったか、早く気付けば助かるのだ。何故軽く見たか。そうではなくて、意図的に隠したと考えた方が、事実に近いのではないか。その後の経過、結果から見れば、そう考えたくなる。当時、可能性のある人は、自ら名乗り出て、病院で検査を受けるように、報道があった。それでも大半のものが、検査を受けなかった。その危険に気付かなかった。使用可能性にきづかなかった。医療はそういうものだろう。輸血を受けたというなら別だが、手術の際に使った薬までは頭が廻らない。
ほんの一部かもしれないが、製薬会社側から名簿が出た。出した側では、厚生省から連絡が行っていたと、思っていたのだろうか。いずれも事の重大さの、認識がない。人の命の重さに、自分の家族がこうした事態に巻き込まれたような、深刻な認識になっていない。ここに行政の、人間性の欠落がある。人間性を亡くさなければできない、仕事に、官僚の仕事がなっている。人間的であれば、耐え切れないような、無残なことを平気で出来るような、体質の人間になるように仕向けられている。これが、薬害問題が、繰り返される原因だと思う。人間的であればあるほど、評価されるような仕組みに、行政組織を変えて行かなければならないのだろう。そんなことを思うと、不可能に見えてくる。本当に人間は大丈夫なのか。暗澹たる思いになる。