水彩人好評開催中
水彩人は連日1000人を越える入場者で賑わっている。これほど評判の良い展覧会になるとは、何でもいいほうに考える方だが、さすがに、ここまでは考えていなかった。水彩人を始めて、本当に良かった。水彩人はともかく、従来にない、たぶん今後もないだろう、独特の関係の会だ。全員がどこまで、対等に、民主的に、絵描きに最も苦手なあり方だ。すぐピラミッドを作り、頂点に立ちたがる。えばり屋が多いいのだ。当たり前が我慢できない人間が多い世界なのだ。「水彩人」の試みは絵を描くと言う事を、個人の作業から、仲間の関係性の中に、何処まで引きづり出せるか。それが各作家の戸別の制作を何処まで高められるのか。その挑戦だった。難しいのは、芸術は天才の世界のこと。天才の全ての合理性や、論理を超えた飛躍の可能性を、いつも保証して置かないといけない事だ。
水彩人の作品批評の前半部分を書いてみる。
青木 伸一
絵画表現をよく把握している。判った上で絵を創ることを理解している。作家としての自立性を感じた。但し、今回、水彩人新同人として、遠慮、配慮が若干あったかもしれない。主張する強さに率直さが欠けている。遠回り感がある。画面に歯がゆさが感じられる。おしおしで、引き技に欠ける。とでも言うか。薄さ、透明感、これをマットなマチュエールにどのように加えるか。蠢くもの、粘質なもの、得体の知れないもの、あくの強いもの、むしろそうしたものとの、対比が必要かも。まだ私も初めてで充分理解している訳ではありませんが。
秋元由美子
4点組の作品のほうにむしろ面白さを感じるのは、何故か。作品の性格は、ある種の私的な記憶世界、と思われる。断片的な記憶の、紡ぎ合い。ここに呼応したか。記憶の一部の、空白感。白い人物。白い人物が、中国少数民族を思わせるのは、迂回路。むしろ率直に自分の幼年時代の、複雑な記憶が想像される方が、本音の表現になるか。当たり前が、異様に成るような。独特の煮詰まり方が、生まれ始めている。
大原 裕行
今回、題材の面白さが少し強いのではないだろうか。つまり、真正面から取り組む姿勢が、少し空かされた気がする。素材、対象の面白さ、線路、トロッコ、荷車。いかにもの味付けの中で捉えられると、通俗性が生まれる。当たり前の対象を、作者がどう解釈するかの方が希薄になりやしないか。全体に筆不足か。最小限の筆に見せる時こそ、大きな手間をかける。むしろこうしたことは、大原さんの得意技。迂回しない、ただ、表わして済む。そう在りたいものではあるが。そうたぶん、素材も、無意味であるほど良いのかもしれない。
小笠原 緑
落ち着いた。実に、意外に、静かだ。その分だけ深まった絵画性を感じる。遠目の静かな深さが、近目での意外なタッチの荒さのなり、気に成る。タッチに思いが籠る事は、避けたいのかもしれないが、粗雑な感じが、してしまうのは、素材のせいか。しかし、上質な世界観が現われ出てきている。この良さと、従来よりのエネルギッシュな世界との、融合が、まだ戸惑いがあるのかもしれない。今回の作品は入り口。ここから、新たな展開に入れるような。素材感、材質感の研究を期待。
奥山 幸子
大きいと言う事が、何よりの主張だろう。しかも大きい上に細かい。この点の特徴が、表現として、意味性を持つ事が期待される。大きくて、細かいのは、自然そのもの。全自然を取り込んでしまいたいような、欲望が感じられる。この場合左右の構図的な構想が、成功していない。右の交差する構成と、左の白い棒状の線の構成、この組み合わせが上手く機能していないだろう。細密であり、巨大絵画。この不可思議が、虫眼鏡と天体望遠鏡、レンズの同居。
小野 月世
着実な技量の向上が感じられる。背景の鮮やかなで、多様。しかも手際のよさ。水彩ならではの表現法。一見誰でもが可能な水彩世界に見えながら、抜きん出て来たように感じられた。この領域での達人の感さえある。バラの表現も、同じようで、随分変わってきたと思う。何処まで、簡略化するか。あるいは説明的に持ってゆくかの、表現が、実に多様に変化。唯一気に成るとすれば、人物における自由自在感の不足。手を3本でも自然に描けると言ったと言う、ルーベンスの自在感。
川村 良紀
会場の核となっている。150号のこの大作が、水彩でよどみなく描かれていることは、水彩人展のレベルを高く保っている。いつもの難解さが、優しい空気になっている。森の空気が明るくなっていながら、深い空間のありようは変わらない、自由な絵画世界が、より広がってきているように感じた。森が、人間である。木々が人間に思える。森は生きている。そんな風に見えた。
栗原 直子
栗原ワールドが安定して見られる。画格の高さが、さすがだと思う。しかし、一転茶色の作品の意味が不明。この作品が、未来につながるのか、不出来なのか。この辺が作家の姿勢の問題かもしれない。コブシの作品は、安定していながら、わずかずつ動いているのでは、ないだろうか。そんな着実な変化を感じた。光のまばゆさ、そのちりばめ方は今までになかったものに思える。静謐な世界、澄み切った世界、情感の溢れた世界、それだけにさらにと、この先にきっとより深い、常人には行き着けない世界があるように感じるが。それは、到達したものを、捨て去るような、ことなのかなど、思いをめぐらせた。
佐藤 百合子
今回進歩の著しい一人。このところ少し、足踏み感を見せていたが、詩情の魅惑に加えて、絵画的な表現になった。つまり、文学性を抜け出た。この先、更に絵画としての深まりと、展開が期待できる。大きい一枚の絵が、少し、落ち着いてしまい、意外感や、破綻が不足ではないだろうか。色味がもう一つ欲しいのか。塗り具合のよさ、徹底感が別格。